外務省にいるころから首長を目指していた
東市長:実は、外務省にいる頃から首長になる選択肢が漠然とあったんですよ。1年半弱で外務省を辞めましたが、その時も、「将来、首長になります」と言って辞めています。だから、当選した瞬間、「意外と早かったな」というメッセージが外務省の先輩から来ました。
加藤:もともとは何歳くらいで首長になるイメージでしたか?
東市長:だいたい40歳ぐらいでした。
当時59歳の父が末期癌だとわかる
加藤:10年勤めようと考えていた野村総研を約1年で退職されることになりました。
東市長:これもきっかけがあって、野村総研に入って1か月後に母親から電話があって、当時59歳だった父が「末期がんだと分かった」と言われたんですよ。まもなく父は死ぬのに、僕はインドにいる。もうショックでした。
実際、その連絡があってから半年くらいで亡くなってしまいましたが、その間なるべく地元(四條畷)まで帰るようにしました。そこで昔の友達と話をしていたら、「最近市の状況が良くない」とか、「まちに元気がなくなっている」という話を聞くようになりました。
既に行政とコンサルの経験を少し積んでいたので、市の計画書とか統計をバーっと読み漁ったら、ムチャクチャ悪くなっているのが分かったんです。そしてもう一つ分かったのが、1年後に選挙があるということ。
「選挙に出たい」と社長に切り出す
加藤:お父様が亡くなられたタイミングというのは、東市長が何歳の時ですか?
東市長:立候補する直前なので27歳の時です。2016年4月に亡くなって、「このまちをもう変えなあかん」と強く思い、早速、行動を始めなあかんと。
それで、父の葬儀とかを終えてインドに戻った時、社長に「すみません、辞めさせてほしいんです」と話をしたんです。「選挙に出たい」と言って。
「1か月休んで調べてこい!」
東市長:いま思うと、社長の対応は普通では考えられないものだったと思います。普通は「アホか!」って言いません? 27歳で地元活動もせず、海外赴任でインドにいる人間が勝てるわけない。そもそも「何言ってんの?」という感じじゃないですか(笑)。でも、社長の第一声は「勝てるのか?」で、僕は「分からないですけど頑張ります」と答えました。
社長は、僕が外務省を早く辞めているから、経歴に傷がつかないようにと、「お前がどんなに頑張っても、絶対に勝てない理由がもし存在するなら辞め損やぞ。1か月休んで調べてこい!」と言ってくださいました。
それで、地元を回って聞き取り調査をしたら、「可能性はある」と分かりました。なので、インドに戻って社長に「勝てる可能性があるので、辞めます」と伝えたら、「分かった、なら思いっきり頑張ってこい。負けたら即日雇い直してやる」と(笑)。選挙の半年前ぐらいです。
インド駐在時に出馬を決断 7か月後に選挙
加藤:全体のスケジュールはどのように進んだのでしょうか。
東市長:とても短期間でした。2015年9月に野村総合研究所に入社して、親父の病気が発覚したのが11月、亡くなったのが2016年の4月。その後、一時帰国して聞き取り調査をしたのが、6月頃。その時に出馬を決めて、10月に出馬表明。2017年1月に選挙というスケジュールでした。
加藤:出馬を決めて7か月後に選挙。すごいスケジュールですね。
※本インタビューは全8話です。facebookとTwitterで更新情報を受け取れます。