インタビュー

【平戸市 黒瀬 啓介氏 #2】「予算がない」を言い訳にしてはいけない

黒瀬啓介2

「予算がない」を言い訳にしてはいけない

加藤:異動して来たばかりでは予算が無いですよね。まず、どのように動かれたのでしょうか。

黒瀬氏:私が始めて担当した年度の平戸市への寄附金額は約100万円でしたが、同じ年に米子市が9000万円集めていると知って驚嘆したんです。ただ、予算要求の時期はすでに終了していたので、「0円で始めよう」「やれるとこからやろう」と走り出したんです。

 逆に予算から入ると、実績うんぬんの議論になっていたはずですので、ふるさと納税の将来性を信じて、勢いで進めたのが良かったかもしれません(笑)。そもそも、自治体職員には「予算がないと仕事ができない」という感覚があるんですが、そういった考えを自分の中から消すことも重要だと思います。

「ふるさと納税、何それ?」からのスタート

加藤:地元の事業者にふるさと納税をやろうと伝えた時はどんな反応がありましたか?

黒瀬氏:最初はみんな「何それ?」ですよね(笑)。ただ、事業者さん側としては、新しい販路ができ、リスクが全くないためすぐに了解をいただけました。軽い気持ちだったのかもしれませんが、「一緒にやろう」という言葉はすごく有り難かったですね。

事業者と対等の関係性

黒瀬氏:初めのカタログポイントは、直売所1団体だけでスタートしました。その後、4団体(直売所2か所、観光協会、商工会議所)が参画することになり、商品の構成も考えていただいて、平戸市のカタログを一緒に作りました。

 事業者さんを増やしていくにあたって、これまでの自治体にありがちな、会議をしたり、いろいろな団体に参加をお願いして回るのではなく、共同事業という対等のスタンスでお誘いをしていったんです。「この指とまれ」方式ですね。

加藤:対等な関係というのは実際には難しそうですね。

黒瀬氏:私自身、まちのさまざまなイベントにスタッフとして10何年間もプライベートで顔を出してきたので、主要な若手や現場の人は知り合いでした。「いつかこの人たちと仕事するだろうな」と思って、まちのイベントに参加し、必ず挨拶して何かを買って帰ったりして良かったと思っています。
 また、お願いをしてはじめると、「行政に協力してやっている」というスタンスが生まれてきます。それでは自主性がなく自分事にならないため、全ての責を行政に押し付けてしまう危険性があるんです。なので、私の仕事のスタンスとしては、基本的にお願いはしない。実現したいビジョンのために一緒にやってくれる仲間を集うというイメージです。

予算ゼロ カタログはカラーコピーで手作り

加藤:予算がない中で、どうやってカタログを作ったのでしょうか?

黒瀬氏:食を通じて平戸市をブランディングする『平戸市地域資源ブランド化推進協議会』が作った、平戸市の特産品が購入可能なギフトカタログを、自分でイラストレーターを使ってリメイクしました。印刷は、課のカラープリンターで印刷し、手作りしていました(笑)。

 ふるさと納税の申し込みが来ると、自分で1部1部カラープリンターで印刷、製本し、注文表とお礼状を寄附者に送るという流れです。1日に10件きて焦ることもありましたし、インクがなくなったり、プリンターが詰まって困ることもありました。本当に地道な作業ですよね(笑)。ありがたいことに、そういった状況を見かねて上司が予算の都合をつけてくれました。

東京で行われる同窓会などで地道なPR活動

加藤:PRはどうやって行ったのでしょうか。

黒瀬氏:初めは東京で行われる地元出身者の同窓会などに足を運んで、5分間いただいて「平戸市役所から来ました。ふるさと納税をよろしくお願いします」と話をしたりしていました。

 最初は2、300人くらい集まる会で話をしても全然反応がなくて、数件の申し込みしかなかったですね。話をしている間も「早く飲ませろ」という空気でした(笑)。でも、日本一になってからはみんな応援してくれるようになって、全然反応も変わりました。結果がでると見方が変わるんだなって露骨に感じましたね(笑)。

誰も頼れず孤独だった

加藤:一番辛かったことはどんなことでしょうか。

黒瀬氏:誰にも頼れないこと。カタログポイント制を最初に独自に進めてしまったので、誰もわからない訳です。体制を整えないまま、突っ走ってやり始めたので、周りの協力もなかなか得られなかったんですよね。みんなそれぞれ業務を持っていますし。最初は1人でずっと戦っている感覚で、めちゃくちゃ孤独感がありました。

 それと、単純に忙しかったですね。季節物の取り扱いの欠品が続いたり、当時は配送のシステムを入れていないので、「商品が届かない」などの問い合わせをすべてアナログで電話確認。いわゆるコールセンターとしての役割も含めて当初は1人でやっていたので、日本一になった年は死ぬかと思いました(笑)。さすがに、途中から臨時職員がつき、その翌年からは担当職員も増えました。

※本インタビューは全6話です。facebookとTwitterで更新情報を受け取れます。

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