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村川美詠さん

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【諫早市:村川美詠氏】女性として働きづらかった時代の経験を糧に、活き活きと働く女性のロールモデルを目指す

【村川美詠氏の経歴】
1986年、長崎県にある諫早市役所に新卒で入庁。当時、大卒としては3人目の女性職員となる。選挙管理委員会事務局、障害福祉課、職員課、男女共同参画課などを経て、現在、生涯学習課長として管理職を務める。活躍は市役所内に止まらず、諫早市のオフサイトミーティング“おこしの会”や、諫早の観光を盛り上げる“もりあげガールズ”を立ち上げるなど精力的な活動を続ける。女性が働きづらい時代の中で道を切り拓いて、活き活きと働く女性のロールモデルを実践している。

加藤(インタビューアー):本日はお忙しい中ありがとうございます。長崎県にある諫早市で特産品といえば通常、どういったものになるのでしょうか。
村川美詠氏:やはりウナギなんかが有名ですね。

いさはや名物楽焼うなぎ

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現在のお仕事

加藤:良いですね。時間があれば是非食べたいと思います。それでは早速、今のお仕事を教えて頂いても良いでしょうか。
村川美詠氏:今は生涯学習課長なので、わかりやすく言うと、公民館や社会教育団体と言われるようなPTAや婦人会、健全育成会等の団体のお手伝いをしています。あと、諫早市は学生寮が東京にあるんです。それがうちの部署の所管なので、その管理をしています。
加藤:今の部署に来られたのはいつ頃ですか?
村川美詠氏:この4月です。私、ここに来るという話を聞いたときに、本当に行きたかったので「良いんですか?」って聞き返しちゃいました(笑)。
加藤:そうなんですね(笑)。具体的な実務としてはどういったことをされているのでしょうか。
村川美詠氏:私が生涯学習課に来る前から、市報に公民館講座の案内が出ていた時に「これでいいのかな」と思っていたんです。市民が学習することで楽しかったりすることを目的としているから良いのかもしれないんですけど、アクセサリーを作るとか、料理をするとか趣味的な講座が多かったからですね。
 例えば、私達みたいに女性で、“長”とか“リーダー”になってはいるけど、まだ人前で話すことや部下の育成で悩んでいる女性が行きたいような公民館講座がないんですよ。
 高齢者、特に女性が時間も学習意欲もあるので、公民館に沢山通っておられるんですね。それはそれで生き甲斐という上では良いんですけど、私は彼女達のパワーや知恵をそういう趣味だけに使っているのはすごく勿体ないと思っていて、地域おこしとか、ボランティアとか、小さな起業をしてもいいし、そういう公益性の高いことで活躍できる方を育てるのが公民館じゃないかと思っていて。
 だから今、公民館の職員の研修でそういうことを伝えたり、来年の予算要求で各公民館から上がってきた講座企画に対して、「これはターゲットは誰なの?」とか少々きついことを言ったりしながら、私が今から変えて行くのはそこかなと思ってやっています。
加藤:公民館のプログラムをチェックし、改善しているんですね。
村川美詠氏:はい。あとは、生涯学習部門に情報発信力があまりないので、社会教育や生涯学習に携わっている人達を繋ぐようなグループをfacebook上に作って、「こんな講座があります。こんな講義をできる人がいます」という情報を共有できるようにしました。
生涯学習課と公民館もうまく繋がってなかったので、似たような講座を別々の公民館同士でやっていたりするんですよね。それを生涯学習課がハブになって、「繋ぎたいなぁ」という気持ちでいろいろとやっています。

地方公務員になったきっかけ

加藤:そもそも地方公務員になったきっかけは何だったんでしょうか。

諫早市役所

諫早市役所

 
村川美詠氏:私は1986年に就職したんですけど、その頃に熊本の大学に通っていたんです。ただ、地元に帰って来たいというのが漠然とあって、とりあえず教員の免許は取ったので、教員の採用試験を受けて、ほかに国家公務員の中級(≒現「国家公務員一般職試験(大卒程度)」)も受験しました。
 でも、市役所は市役所で、国家公務員試験とは別で試験を受けなければいけないというのを知らなくて(笑)、母が市報を見て「市役所って試験があるみたい」って願書とかを送ってくれて(笑)、それに書いて、たまたま受かったという感じです。当時は女性が結婚しても辞めないでいい仕事って、公務員か教員くらいしかなかったんですよ。
 人事にいた時に今の若い子の採用試験をすると、「地域を元気にしたいんです」って言うんですよね。だから、自分を振り返ると申し訳ないと思ったりするんです(笑)。

新人から8年間、男性社会であった選挙管理委員会事務局で過ごす

加藤:最初はどういった部署でどういった仕事をされたんでしょうか。
村川美詠氏:選挙管理委員会事務局でした。
加藤:実際に初めて社会人としてお仕事を始められて、どういう経験をされたんでしょうか。
村川美詠氏:私は本当に無知だったので、市役所の仕事って、住民票を「はい!」って交付して夕方5時に帰れるなんて思っていたんですけど、実際に選挙管理委員会に行ったら、入ってすぐ解散総選挙があったりして結構忙しかったですね。
 それまで選挙管理委員会って男性の職場でして、私の他の3人は男性で、同じフロアにも女性は私一人だけでした。それと、女性は22時以降に残業したらダメだったんですね。なので、それ以降はこっそり残業していました。
 男女雇用機会均等法ができたのが1986年で私が採用された年なので、それ以前は明らかに男女差別があるんですよ(笑)。大体女性は各フロアに1人で、その人がお茶を汲んだりとか、60歳の定年まで仕事をしたとしても、基本的には経理の仕事だけをしてとか、そんな感じだったんです。
加藤:今だと、あまり想像がつかないですね。
村川美詠氏:そんな感じで過ごしていたんですが、選挙って年に1回くらいで、大体4月とか7月にあるんです。諫早市役所の異動の時期も大体4月か7月なんですね。そしたら出そびれてしまって、その部署に8年もいてそこで結婚も出産もしたんです。
加藤:その当時は、女性と男性の比率はどのくらいだったんでしょうか。
村川美詠氏:同期は、全部で16人ぐらいで、私と高校卒の女性の2人ぐらいですね。私達の後になったら、少しずつ変わっていきましたね。
 昔は役所で結婚していたら、旦那さんが課長になる時に、「わかってるよね」って奥さんが辞めないといけない暗黙のルールというか雰囲気があったみたいで、女性が早く辞めて行くので、私達にとってはバリバリ働いている女性管理職のロールモデルの方ってあんまりいないんですよね。
加藤:それは、他の自治体でも大体同じ状況だったんでしょうか。
村川美詠氏:大体一緒だと思いますね。

部署全員の湯飲みと好みを覚えて、1日4回お茶を出していた

加藤:さっき少し仰ってたような仕事内容での男女の違いも、まだその時はあったのでしょうか。
村川美詠氏:そうですね(笑)。そういう時代だったので、そのフロアの職員全員の、「この人はどの湯飲みで、この人は砂糖がいる」とか全部覚えて、朝一、10時、12時、15時にお茶を出して、自分が家に帰る前にその湯飲みを洗っていました。
 しかも当時は仕事中に自席でタバコが吸えたので、その灰皿の片付けもやりました。一方、私達の先輩の女性も、昼休みに自分の家の買い出しとかに言って、17時になるとすぐ帰るような人が普通で、「女性はそんな感じで働いていくものなのかなー」という風に見ていました。
加藤:もう少し、男性と同じような仕事をしたいと感じたのでしょうか。
村川美詠氏:選挙管理委員会にいた頃は、特に男性と同じような仕事をしたいと思っていたわけではありませんが、選挙がない時期は、もっと仕事がしたいと思ってました(笑)。
 だから朝、仕事があまりない状態だと「今日一日何をすればいいんだろう」って思いましたし、市役所入庁後5年目くらいに結婚して子供が生まれたんですけど、逆に選挙がある時には子供の面倒が見られなくて、親に預けたりしていました。

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女性として働きづらかった時代の経験を糧に、活き活きと働く女性のロールモデルを目指す【諫早市:村川美詠氏】(2/5)
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