子育ての挫折と学び
村川美詠氏:私は、小さいころから大学にも市役所にもすっと入り、なんの挫折も感じないで生きていたのに(笑)、私の娘が不登校になるってことが理解できなかったんですよ。
ただ、実際に私とは全然違う個性を持って生まれて来ていたんですよね。それを理解してあげることができずに、娘に何かできないことがあると「なんで、私と同じことができんと?」って責めてしまったので、ある日「私はお母さんじゃないから」って言われたんです。
そんなこと言われたらショックで悩むじゃないですか。その後は、色んな子育てセミナーに行って、勉強し直したりして、年間70個ぐらいのセミナーに行っていました。
加藤:それは全て子育てのセミナーですか?
村川美詠氏:そうです。子育てというか、自分育てというか。一番落ち込んでいる時は霊媒師みたいな人のところに行って「この子がこうなったのはどうしてですか?」なんて聞いたりしていました(笑)。ただ色々と勉強しているうちに、私自身の間違いに気づいてきたんです。
当時は、娘が不登校とか、夜中に家を飛び出したりして、家がガチャガチャだったので、講演で教えてもらった話を元に、私自身の考えや対応を変えていったんですね。特に、"傾聴"ということをやりました。
私は元々、「娘が中学生で、ただの反抗期だから私と喋らないんじゃないか」と思っていたんですけど、ちゃんと話を聞こうとすればどんどん話してくれるってことがわかってきたんです。この頃から少しずつ関係が変わっていったと思います。
市民の半分である女性の声を市役所に届けたい
加藤:なるほど。子育てのスタンスも変えられて、うまく回り始めたんですね。その中で新たな活動をされていったのでしょうか。
村川美詠氏:市役所で「輝く女性職員プロジェクト」というものを作ったんですけど、それは男女共同参画課にいたことが影響していて、何か物事を決める時に「中高年の男性」という一種類の人で決めるのはよくないんじゃないかと思ったんですね。
市民って半分は女性ですよね。その女性の意見を市役所に届かせるにはどうやったらいいのかなと思ったときに、女性が管理職になって意思決定の場所で意見を言えるようにならなければいけないと思いました。そして、いずれ我々が管理職になる時が来るので、そういう人を輩出する為に「輝く女性職員プロジェクト」を作ったんですね。
実は、その少し前、女性がある部署の長に登用されたんですけど、まだその頃は、女性も管理職になる教育や覚悟ができてなくて、続けて2人辞めてしまわれたんですよ。これだと男女共同参画が進まないと思って危機感を持ったんですね。
それで、やる気のある人や声をかけやすい人に呼びかけて、スキルアップをするようなワークショップとかに参加してもらっていたら、それが村川派を作っているんじゃないかとか、穿った見方をされるようになってしまったみたいです(笑)。
加藤:それは直接誰かに言われたんですか?
村川美詠氏:直接ではなく、噂で漏れ聞こえてくる感じでした(笑)。頑張ろうと思った中、出る杭じゃないですけどポカって打たれるようなことがあったので意気消沈して、そこから一旦、市役所では鳴りを潜めるようになりました(笑)。
その後、教育委員会の教育総務課っていうところに異動になったのですが、そこは自分が何かアウトプットをするわけではなくて、教育委員会の会議の運営をしたり、教育委員会全体的なとりまとめをしたりして、2年間過ごしました。
市役所外の活動を活発化させる
村川美詠氏:市役所で何かするのは一旦諦めて(笑)、それから、私は市役所の外に行ったんですね。色んな人と外で活動することになっていって、ドリームプランプレゼンテーションっていう大人が人前で夢を語って、それに共感した人が手伝って夢を叶えるっていうような活動や、「もりあげガールズ」という活動にも参加しました。
加藤:もりあげガールズというのはどういう活動をされていたんですか?
村川美詠氏:女性目線で諫早の観光を考えて、町を活性化させるようなことをしています。きっかけは、2014年に長崎で国体があって、その開催前にタクシー会社の女性社長さんに諫早の観光コースを作りたいと相談されたんですよね。
諫早に来られた方が観光するときに、女性目線で観光コースを提供したいということだったんです。そこで、私が以前に男女共同参画課にいたので、そういうことのできる女性の人を紹介して欲しいと頼まれて、それに私も入れてもらったという感じです。
加藤:なるほど。村川さんの過去のお仕事が地域で認知されていたんですね。
村川美詠氏:その活動をやっていると、意外と諫早にも良いお店やスポットが沢山あるなとか盛り上がって来て、観光タクシーのコース作りだけではなく、もっと広い範囲の活動にしていこうと今に至るんです。
加藤:まさに公益の為ですね。
村川美詠氏:最初は名前も何にもなかったんですけど、名前があった方が良いよねってことで「諫早もりあげガールズ」っていう名前に決まりました。年齢は40代、50代で構成されているので「ガールズどこおると?」ってよく言われるんですけどね(笑)。
面白かったのは、“2ちゃんねる”の投稿で、「諫早の“もりあげガールズ”って気になって、ネットで検索して写真を見たら“もりさがった”」って書かれていました(笑)。
加藤:(笑)。
村川美詠氏:それを見た時は爆笑しました(笑)。そんな中、元武雄市長の樋渡啓祐さんが注目を浴びていらっしゃって、2013年8月に東北オフサイトミーティングという、東北の自治体職員が中心となっている自主勉強会グループの出張版が佐賀県武雄市で開催され、大好きな樋渡さんが講演をされると聞いたのでそこに行きました。その会を運営されている山形市役所の後藤さんにもそこで、初めてお会いしました。その時の懇親会がきっかけで、のちに九州オフサイトミーティングという自主勉強会グループが結成されることになったそうです。
そして、その年の11月に福岡で開催された第1回の九州オフサイトミーティングに参加して、自分の職場を良くしたいという志をもって活動している地方公務員70~80人の人達に初めて会って、「やっぱり本丸である、諫早市役所に働きかけないと駄目だなー」って考えが戻ってきたんです(笑)。
諫早市役所内に対話の場を創出
加藤:そして、諫早市のオフサイトミーティングをスタートさせたんですか?
村川美詠氏:はい。その福岡で開催された九州オフサイトミーティングの時に、福岡市役所の今村寛さんが運営している福岡市役所のオフサイトミーティングの発表があって、それを見た時なんともグダグダで(笑)、これなら私でもできるんじゃないかなと思ったんです(笑)。
そこで、2014年の1月に福岡市のオフサイトミーティングに押しかけて(笑)、今村さんをはじめ、福岡市の皆さんに色々と教えていただき、助けていただいて、諫早市のオフサイトミーティング「おこしの会」を始めました。
加藤:おこしの会はどういう活動をされているのでしょうか
村川美詠氏:活動内容は毎週水曜日の昼にランチミーティングをしていて、特に何を決めるわけでなく雑談をしています。それによって、組織の風通しが良くなるんですよね。もし、その中で何か企画が生まれたら、イベントをしたり、話を聞きたい人がいたら、呼んで勉強会をする。そんなことをしています。
会則も名簿も無いんですけど、一度何かのイベントに参加した人はメーリングリストに登録するんですね。それが今113人いるらしいんですよね。うちの市役所は全部で900人なんでけっこう多いですよね(笑)。
加藤:10%以上の職員が参加したことがあるというのは、すごいことですね。
2度目の職員課で感じた、職員課の立ち位置の難しさ
村川美詠氏:そうこうしている間に、職員課に戻ってきたんですが、今回は課長補佐として仕事をしました。その時は、人事がメインの仕事でした。
加藤:採用などもしていたんですか?
村川美詠氏:はい、採用試験もしていました。2回目は3年間だったのですが、特に女性の人材育成を図る為に、「女性職員研修」に力を入れ、女性が活躍しなければ女性住民の声が届かないということを女性職員に伝えました。
加藤:2回目の職員課では何が大変でしたか?
村川美詠氏:心が痛かったという点では、職員が何か問題を起こした時に処分をするのが辛いですよね、仲間なので。それは嫌でしたね・・・。組合との交渉も、立場として言わなければいけないこともあるけど、職員の気持ちもわかるしなぁと・・。
職員課って、「わかるよ、わかるけどね・・・」って感じる部分があって、本当に心が痛い時も沢山あって、「きついなー」と思うこともありました。
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女性として働きづらかった時代の経験を糧に、活き活きと働く女性のロールモデルを目指す【諫早市:村川美詠氏】(4/5)
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