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【元金融庁長官 畑中龍太郎氏 #2】『過去』『現在』『未来』から構想力を磨く

畑中龍太郎2

―2017年11月12日に渋谷ヒカリエで開催された「第10回よんなな会」。国家公務員、地方公務員が600人集まる中、元金融庁長官 畑中龍太郎氏が「公務員に期待すること」、そして、「家族のありかた」についてお話された。第2話。

畑中氏:皆さんへの1つ目の期待。これは「構想力」を磨いていただきたいということであります。皆さんには20年後、30年後を見据えて今の足元の仕事をしていただきたいと思います。足元の政策ももちろん大事ですけれども、皆さんは20年、30年後にまだ公務員をやっている可能性が高い。

 つまり、将来、自分がやった仕事の責任を負わなければならない。ですから今おやりになっている仕事について、その仕事が本当に20年、30年後に耐えうるのかということを常々考えながら、想像をたくましくして考えてください。

 そこで、この構想力を磨いてほしいと申しましたが、一体どうやって磨くんだっていう話になる。100年に一度の天才であればともかく、恐らくここにおられる方はそういう天才ではないと思いますので、普通の人間は『過去』と『現在』と『未来』を考えることから構想力を磨くより仕方ありません。

 『過去』を知る、これは「歴史を学ぶ」ということで2つのことを申し上げます。1つは、日本であれば日本が本当に輝いていた時代、あるいは社会が、一体どういうものだったのかというのをぜひ深く研究してください。それは閉鎖的な社会や覇権を唱えていた時代ではありません。むしろ世界に広く門戸を開き、世界のダイナミックな動きと連動しながらこの国の基礎を造っていた時代であります。

 もう1つは、この輝いていた時代を支えていた輝いた先輩たちを広く発見をして、その生き方、生き様を勉強してください。お一人だけ実名をあげて申し上げます。明治、大正を生きた方で高木兼寛(たかぎかねひろ)という方。ご存知の方も多いと思いますが、東京慈恵会医科大学、そして日本初の看護学校の創立者です。

 この方は幕末近く宮崎県の貧しい村に生まれ、戊辰戦争で医者の手伝いをしていました。東北地方まで薩長軍とともに従軍をして、そのとき初めて西洋の外科手術を見ました。その驚嘆すべき技術力を見て、志を立て明治8年単身イギリスに留学しました。

 イギリスのセント・トーマス病院医学校(現キングス・カレッジ・ロンドン)。世界で最も権威のある大学であります。ここで5年しっかり勉強して帰国をされました。一番の成績で卒業された。そして、明治時代に一番恐れられていた脚気(かっけ)という病気の原因を探求する軍医になりました。

 日露戦争というのが昔ございましたけれども、そのとき日本の陸軍は旅順や奉天の会戦で4万6千を超える戦死者を出しました。同時に、同じくらいの病死者を出しています。その大半が脚気で亡くなっています。

 一方、海軍は麦やお肉や野菜や醤油などに食料を変えた高木軍医のおかげで、脚気で亡くなった方は日清戦争ではゼロ、日露戦争のときも数名だった。この事実は日本では長く評価はされませんでしたけれども、海外では高く評価をされました。第二次世界大戦後、人類に貢献した医学者、衛生学者を顕彰するために南極の岬に名前をつけるという試みがなされまして、「タカギ岬」という岬がございます。日本人で功績が評価され南極に名前がついている方はこの高木兼寛ただ一人です。しかし家庭的には恵まれなかった。5、6人おられた子供さんは、1人を残して、みんな若くして亡くしておられます。

 そんな中でも研究に没頭し、人類のために生涯を捧げた。こういう方は高木さんだけではなくてたくさんおられます。ぜひそういう輝いていた人を見つけだしてください。そして、その生き様を知ってください。それが皆さんの自信に必ずやなると思います。

 『現在』を知る。そのためには現場を知らなければならない。現場に足を運んで身体を運んで、身体全体で理解をしなければ現場はわからない。「現場に神宿る」と言います。現場にこそすべての課題と解決策があります。霞が関の官庁街や県庁舎や市役所にいるだけでは現実の動きはわかりません。

 『未来』。将来はどんな世の中になるんだろうか、どんな世界になるんだろうか、と予測をしてみてください。そして、そのときの社会や政策、世の中はどうあるべきかということを常に考えてください。そのことが将来への皆さんの洞察力を磨くことになると私は思います。

※本記事は全6話です。facebookとTwitterで更新情報を受け取れます。

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