インタビュー

【前横浜市長 中田宏氏 #1】就任後に6兆円の借金が判明

中田宏1

【中田宏(なかだひろし) 経歴】
1964年生まれ。青山学院大学経済学部卒。松下政経塾を経て、衆議院議員を通算4期、横浜市長2期(政令市最年少)。現在はシンクタンク『日本の構造研究所』代表としてさまざまな提言を行っている。
 衆議院議員と横浜市長という国政と首長の両方を経験した数少ない政治家の一人。横浜市長時代は徹底した行政改革や民間活力導入で、横浜市の借金を約一兆円減らした。

―人口370万人を超える横浜市、2002年、この大舞台で当時の政令市最年少市長となったのが中田宏氏だ。37歳でこの重責についた中田氏は、財政再建を主眼に据え横浜市の借金を約一兆円減らした。一方で、民間との共生の必要性を感じ、早くから「民の力が存分に発揮される社会の実現」を唱えてきた。
 その中田氏から財政再建の取り組みや、首長としてのありかた、メディアに期待する事、道州制、視察の有料化など幅広く考えを聞いた。

就任後に6兆円の借金があることがわかった

加藤(インタビューアー):横浜市長時代に1兆円の借金削減を進められました。2002年に市長に就任されて以降、どのような思いで進められたのでしょうか?

中田氏:そもそも私が市長になったときには、市が自分たちの財政状況を把握できていなかったので、洗いざらい調査したところ、約6兆円の借金があることがわかりました。

 財政再建のためにあらゆる見直しを進めていきましたが、そのためには求心力を持ちながらセンターピンと言われる1番ピンに当て、他のピンを倒していかなければいけない。

 その上では、何から進めるのかという順番が特に重要で、まずは「身を切る改革」として市長、そして、市役所自身の改善を行い、それがあったうえで、次に業界に影響を与えるもの、市民に影響を与えるものに対して順番に広げていくということをしました。

2002年から市長交際費を全公開

加藤:具体的には初めに何を行ったのでしょうか?

中田氏:市長交際費の全公開としました。それまで100万単位で毎月使っていたようなものを、僕が市長になってからは年間で数万円しか使わないようにしました。また、職員数も新規採用を抑えることで職員の総数を減らしていきました。
 次に行財政改革として財政ビジョンの策定を行い、行革のプラン作りをしていきました。都道府県庁や政令指定都市レベルの規模になると、さまざまな事業を抱えているので、ムラのある改革をやっていても効果は上がらないんです。だから、計画として全体に網をかけて対応し、それを進めるための理屈も作っておく必要があります。

外部の専門家を中心に財政再建計画を作成

加藤:財政ビジョンの策定は、どのような体制で進めたのでしょうか。

中田氏:大学教授、公認会計士、弁護士、民間企業経営者などをトップにした財政ビジョンの策定チームを作りました。そこで、横浜市のフローやストックを全てまとめてもらう方針を打ち出してもらい、その実作業を財政部署の人たちにお願いしました。

加藤:財政部署の方は、元々いらっしゃった方達がそのまま進めたのでしょうか?

中田氏:市長に着任したときの人たちに、そのまんまやってもらいました。これは財政に限らない話ですが、僕は2年後ぐらいからしか人事はいじっていません。なぜかというと、やはり人事は役人が一番気にすることなわけですね。まだ名前と顔が一致していない私がやるということは、反発を生むわけですよね。

 情報はたくさん来ましたよ。手紙がきて、「この人は使うな」とか「この人は優秀」だとか。だけど、私は横浜市役所に長年いたわけじゃない、ということは知らないに決まっているんです。そうすると、誰かの入れ知恵でしかないことは明らかなので、それでは必ず反発が起きるんです。

いままではそれで良かった。ここから先は違う

加藤:職員の方にはどういうメッセージを発信されていたのでしょうか?

中田氏:職員はすごい警戒をしているわけですね。「情報公開なんぞは政策ではない」という感じだったので、「政策を議論するためには情報公開が必要だ」と伝えました。それだけで役所というのは嫌がるわけですよ。いままで自分たちが公開してこなかったものがいっぱいあったからです。

 そこで、パラダイムチェンジをしないと駄目で、「いままではそれで良かった」「過去は否定しない」というメッセージを送って、「ただし、ここから先は違う」「公開することを前提に情報管理をしてもらいたい」と伝えました。

 今までやっていなかったことに執着しても、ものごとは進まないと思うんですよね。これから先の方向性にどれだけ一緒になってやってもらえるかを問い、一生懸命それに対してやってくれた人は評価をするし、残念ながらまだ、頭が切り替わらなかったという人たちには相応の処遇にすると。それぞれ見せることによって、組織全体に対するメッセージが伝わることを意識しました。

 ただ、広い役所で全員の働き方を見られるわけではない。ましてや当時の職員数は3万4千人ぐらいです。すると、見るべき人は1番近い3人の助役、そして、主要な局長クラスでした。はっきり言って2、3年目ぐらいのときでも、それぞれの働きがまだまだわからなかったです。

名前と顔が一致したのは50人

加藤:名前と顔が完全に一致する方はどれくらいいたのでしょうか?

中田氏:局長クラスの50人くらいです。この50人ですら、働いているパフォーマンスに対していつもチェックできているわけではないんです。だから結局、助役が人事案を持ってきて、それを聞いて了承をしていくということになります。

 3年目、4年目、5年目、6年目となるうちにだんだん内部事情も分かってくるから、私が意見をいうことは増えていきました。

※本インタビューは全6話です。facebookとTwitterで更新情報を受け取れます。

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