一人では何も出来ない
加藤:さまざまな取り組みを進められてきました。何が一番大変でしたか?
田中氏:一人では何もことを成すことが出来ないじゃないですか。チームや組織、議会の理解がなかったら新しいことは出来ないし、古いものをスクラップすることも出来ない。なので、課題を共有し、目標を一つにして、互いに頑張れるチームを作ることが大切だと思っています。「また田中がなんか言っとるわ」で終わってしまうようだと物事が進まない。
1年目からやりたいことを提案
加藤:入庁されたのは1995年ですよね。自分がやろうとしていることが出来るようになったタイミングは、いつ頃からですか?
田中氏:初めからやりたいことをやろうとしていたとは思うんですね。たとえば、最初に入ったのが保健事業ですけど、当時は今みたいに、『育メン』という言葉もなくて、パパママ教室のような両親学級が、全国にあまりなかった時でした。自分も子育てをしていたので、旦那さんの理解がないと、ママはなかなかしんどいと思っていました。
それで、パパママ教室を土日にやりたいということを、入庁1年目で提案しました。当時の係長に相談して窓口で母子手帳を発行する時にアンケートをとって、「ニーズはこれだけありますよ」と伝えたんです。当時、土曜日に出勤するということは少なかったと思いますが、同僚の協力や上司の理解を得て、実現したと記憶しています。
加藤:周りを巻き込んでいく時に、「そんなに頑張り過ぎるなよ」という雰囲気はなかったですか?
田中氏:中にはそういった方もおられたかもしれませんし、事実「やり過ぎるから、迷惑や」みたいなことを直接言われたこともありますけど、当時の係長から、「出る杭は打たれるけど、出過ぎれば打たれないんだよ」って言ってもらえました。多くの人の支えを得られたことが大きかったと思います。
上司だけではなく多方面にわたり調整
加藤:やりたいことをするために、課長さんなどを説得しに行ったのでしょうか?
田中氏:上司はもちろんですが、上司の理解を得ても予算に関連する財政や企画などの部門が承認しないと進めることが出来ない。そして、人員配置も大事なので、人事の理解も必要です。どこの部署もさまざまな課題を抱えていますから、全体を見ている部署の方々には、自分たちが抱えている課題や取り組みについて理解を得る必要があります。
そうした先輩方から多くの助言をいただきました。ですが、本当に気持ちだけが先行して、今から考えるとよく周囲の人が許してくれていたのだと思えるような恥ずかしいことを勢いだけでやっていた時期もありました。組織のルールを考慮せず、「本当にすいませんでした」と思うことも多々あります。
高齢者にとって絶対必要な事業だと思った
加藤:ターニングポイントとなる仕事はありましたか?
田中氏:2004年に奈良県が主宰した市町村トップセミナーがあり、当時の福祉健康部長や社会福祉協議会の事務局長、私のような専門職までこぞって参加したんですよ。合計6人程度です。そこで、『高齢者筋力向上トレーニング事業』という、当時、一世風靡したパワーリハビリという手法で、マシンを使った筋トレによって、高齢者に元気になってもらう事業が紹介されたんです。
講演の中で、要支援や要介護で歩けなかった人たちが歩けるように回復したりとか、認知症が改善したことを、実際のデータと動画でバンバン出されたんです。
当時、「男性が参加できる介護予防の取り組みを進めてほしい」「元気になれる仕組みを作ってほしい」という地域の人の声が頭に染みついていて、私自身も虚弱な高齢者でも元気になれる方法が絶対にあると思っていました。でも、具体的なイメージが湧かず悶々とした日々を送っていましたので「まさにこれだ!」と思いました。
それで、参加した人たちと「すごく良いですよね。これ絶対やりたいですよね」って言って帰って来たんです。ただ、これが国のモデル事業として、予算を組んで実践していくとなると、場所、機械、ルール作り、専門職やボランティアの確保など、さまざまな準備をしないといけなくなります。やはり通常の業務に加えて行っていくとなると相当な覚悟と準備が必要だったので、主体的にやろうという気運にはつながりませんでした。
それでも自分は「高齢者にとって、これが絶対必要な事業だ」と諦められなかったんです。一旦、当時の事務方が予算案をあげてくれたのですが、国のモデル事業で全額補助といえども、継続するための費用等、さまざまな面からも検証が必要となり、結局、その新規事業は認められず、取り下げることになったのです。
ボツになった事業が部の目玉事業に
田中氏:ただ、「やりたい、やりたい」って言っても全然予算が通らなかった。その時はまだ一介の専門職だったので、予算のことも仕組みもわからない。夜な夜な上司が帰ったあとに当時の財政課に行って、「どうやったら予算取れるのですか?」と聞いていました(笑)。
今から考えると本当に困った係員です。こうしたことは課内で調整し、組織だってやっていかねばならないことなのに、気持ちだけが先行してしまい、私は自分自身を見失っていたのだと思います。
ただ、それがあまりにも切実だったようで、「あいつは変わってるけど、そこまで言うのなら、やらせてみたらどうか?」という話になったらしいんです。そうすると、一旦、ボツになった事業が一転して部の目玉事業になり、私には何が何だかわからなかったんですよ。
「お前があまりにも一生懸命やから、部長が頑張ってくれたんや」と当時の係長が言っておられて、その事業の実現が、今の私のすべての大元のような気がします。部内のみならず、庁内で運良く支えてくれる多くの人たちに恵まれていたんです。
加藤:田中さんの動きが、それを呼び込んだわけですよね。
田中氏:いやいや、「何してんねん」って怒られました。今から思うと本当に恥ずかしいです(笑)。
一つ成功すると次の挑戦がしやすくなる
加藤:厚生労働省の委員も務められています。国と連携してお仕事をされたのは、いつ頃からですか?
田中氏:先ほどの2004年のモデル事業の時からです。全国54市町村が参画したんですけども、生駒市が良い結果を出すことが出来たために、国が出す老人保健事業での委員会に呼んでいただくようになりました。
当時、介護保険制度の大きな改革を控えていたので、地域包括支援センターの設置や、その運営マニュアルを作るとか、介護予防のケアプラン作成を行う指導者を育成するための研修事業の企画や、指導者育成の講師などを務めさせてもらってきました。平成29年度も国が委託する老人保健事業の研究事業で5本、委員をさせてもらいました。
加藤:一つの取り組みが成功すると、庁内も外部も調整しやすくなり、やれることが派生的に広がるわけですね。
田中氏:そうですね。
加藤:ただ、最初の一個をつくるのが一番大変ですよね。
田中氏:そうですね。タイミングや運も影響すると思います。民間企業が新商品を開発するのと同じです。
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※本インタビューは全9話です。facebookとTwitterで更新情報を受け取れます。
第1話 介護予防事業に年間約200人の視察
第2話 市町村の力量を追求される時代
第3話 国が示す類型はあくまで典型例
第4話 有識者を呼ぶだけでは地域の人は動かない
第5話 無償のボランティアにタクシーで駆けつける住民
第6話 ボランティア参加が高齢者の承認欲求を満たす
第7話 ボツになった事業案が目玉事業に変わる
第8話 看護師になりたかった
第9話 市町村は目の前に住民が存在する