とある海辺の街の、休日の話
昨年の梅雨の時期に、真っ赤なボディボードが手に入った。地域のフリマアプリを使って、同じ茅ヶ崎に住む方から格安で譲っていただいた。新品同様で、早速子どもたちを連れて海に出かけたのを憶えている。我が家の子どもたちは一卵性双生児で、まだ小さいからどこに行くのも嬉しそうに付いて、二人でわいわい遊んでくれるのがありがたい。このときの行き先となったのは、茅ヶ崎ヘッドランドビーチ(通称Tバー)という海岸だった。
茅ヶ崎ヘッドランドビーチにいるのは、地元の家族連れやサーファーである。海に入る人も入らない人も多すぎなく、のんびりするのにちょうど良いから、お散歩がてらよく訪れる。海に向かって左を向くと、湘南のシンボルとも言える江ノ島が見える。茅ヶ崎から江ノ島は車で15分の距離で、県外からお客さんが来たときなんかは連れて行ってイカ焼きやつぶ貝の串焼きなんかを食べてもらうと、これが美味くて喜んでもらえる。今度は海に向かって右を向くと、雄大な富士山が見える。海には障害物がないので、雲がない日には存在感たっぷりの全容が望めて大変有難い心持ちになる。そして、海をまっすぐ見ると沖合1kmほどのところに烏帽子岩がポツンと存在している。
この烏帽子岩は、茅ヶ崎のスターであるサザンオールスターズが全国区にしてくれた。「チャコの海岸物語」では「エボシ岩が遠くに見える 涙あふれてかすんでる」という歌詞があり、「HOTEL PACIFIC」では「エボシ岩を見つめながら 夜霧にむせぶシャトー」という歌詞がある。また茅ヶ崎駅の発車メロディーにもなっている「希望の轍」では、「遠く遠く離れゆくエボシライン Oh, my love is you」という歌詞がある。エボシラインというのは、海沿いを通る国道134号のことだと言われていて、箱根駅伝の時期には歩道が応援の人たちで埋め尽くされる。これに参加することで、年始の風物詩を肌で感じることができる。
この国道134号を渡って茅ヶ崎ヘッドランドビーチに着いたら、烏帽子岩を正面に捉えながら、子どもにライフジャケットを着せた。そして波打ち際でボディボードに乗せ、波が寄せてくるのに合わせて、ポンと押してやると、スーッと波に乗って5メートルぐらい進む。子どもはまだ波が怖い年頃だが、これは楽しそうにやっていて安心した。私の家の近所にはやはりサーフィンが生きがいの人がいて、子どもにもサーフィンをやらせたいと思っているのだが、小さい頃から無理をすると逆に海嫌いになるから、みな細心の注意を払うというサーファーあるあるをよく聞く。
双子の一人は近くで砂遊び(砂浜は巨大な砂場!)をして、もう一人がボディボードをして遊ぶという時間をしばらく過ごしていると、若い男性に話しかけられた。名刺を渡されて、見ると茅ヶ崎市役所に勤めている方だという。広報誌に載せるための写真を撮らせてもらえないかということだったので、快諾した。背景に烏帽子岩を映しつつ、「茅ヶ崎の海辺で遊ぶ親子」の写真を撮っていただいた。後日になってメールでその写真が送られてきて、とても良い思い出になった。
時は経ち2018年を迎え、奥さんの実家で今年も箱根駅伝の時期が来たなあなんて思っていた頃、近所の人から連絡をもらった。茅ヶ崎市の広報誌「広報ちがさき」年始号の表紙に私が載っているというのである。送られてきた写真の画像を見ると、小さいが確かにあの梅雨の時期に撮られた写真が載っている。表紙では「茅ヶ崎の最大の魅力は人だ」から始まる文章と共に、茅ヶ崎住民の写真が切り抜かれてたくさん載っていた。私は撮られたこと自体すっかり忘れていたので驚いたが、移住してまだ間もない私が改めて市民として受け入れられたような気がして嬉しくなった。→広報ちがさき年始号のWEB版はこちら
街の魅力を広報する術(本題)
さて、ここまでが、前置きである。ここから、何が言いかったのかを説明する。
私は前回このHOLG.jpに「これからの働き方を考えたら、地方自治体がまず変わるべきことが見えてきた話」というコラムを寄稿した。要は地方自治体の職員が積極的にSNSで発信するべきという内容なのだが、今回のコラムはその住民版ということである。
キングコングの西野さんのブログで、「まだ『情報解禁』とか言ってんの?」という大変面白いエントリがあった。象徴的な部分を以下に引用する。
「『お客さん』を増やすのではなくて、『作り手』を増やした方がいいということ。なぜなら、『作り手』は、そのまま『お客さん』になるから。そして、『お客さん』なんて、もう存在していないから。」
まさに、そうなのである。インターネットの功績の一つが、この作り手の創出だ。そしてこの理論は、街の広報にも言える。いまや、住民を「ただ住んでいる人」にしておくのはもったいない時代。いかに発信する人にしていくかを考えてみてはいかがだろうか。私がこのHOLG.jpという媒体を利用して茅ヶ崎の良さを発信しているように、地方自治体はその拡声器、あるいは舞台装置になる役割をより積極的に強めて行くのが良いのではないかと思うのである。そういう意味で、前置きで紹介した通り、広報誌という舞台に住民を上げて、拡散した茅ヶ崎市のやり方は一つの良い方法だと言える。こうして、茅ヶ崎が取り上げられる機会を新たに作っているわけだから。
それにしても、このコラムの前置きで書きたかったのは石原慎太郎氏の「この国で一番贅沢な地域 湘南」のようなうっとりする文章だったのだが、残念ながら(当然ながら)到底及ばず説得力がないのが悲しい。わたしの文章は嫌いでも、茅ヶ崎のことは好きになってください。
湘南在住。不動産情報ウェブサイト運営会社、お出かけ情報ウェブサイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイト運営会社にて企画職に従事。