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地域の未来を拓く石工たちの物語(熊本県八代市)「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(199)」

写真①八代海干拓の壁画(八代市鏡支所)

八代海干拓の壁画(八代市鏡支所)

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[記事提供=旬刊旅行新聞]

 熊本県八代市といえば皆さんは何を連想されようか。歌手の八代亜紀さんは有名だが、多くの方々は熊本を代表する豊かな農業地帯を連想されるのではないか。九州新幹線新八代駅の開業以来、博多都心からも僅か50分という、誠に便利な地域である。

 だが、この豊かな八代平野は、かつて「お国一の貧地」と呼ばれる、湿地と干潟が広がる不毛の地であった。江戸時代から昭和初期の長い間にわたる大干拓事業は、この貧地を広大で豊かな農地に変えた。現在の八代平野の実に3分の2が干拓地である。その干拓事業には膨大な数の人夫が動員され、その中に石材の切り出しと運搬、加工に携わった石工たちがいた。

 石工たちは、近世末の四百町新地や七百町新地(文政年間〈1818―21年〉)と呼ばれる大干拓事業で、「大鞘樋門」に代表される干拓樋門や干拓地を潤す用水路、橋の建設などに活躍した。

 なかでも石工たちの総取締役に任命された石工「三五郎」は、数多くの石の構造物の造営を指揮し、のちに苗字を許されて岩永三五郎と称した。三五郎はとくにアーチ型の眼鏡橋の設計を得意とし、アーチ型水路橋「雄亀滝(おけだけ)橋」など数多くの水路橋を設計した。また、薩摩藩に招かれて、甲突川の五石橋などの設計にも携わった。これらの技術が有名な通潤橋(つうじゅんきょう・国指定重要文化財)のモデルになったと言われている。

 この石工たちの物語が昨年6月、「八代を創造(たがや)した石工たちの軌跡」として日本遺産に認定された。

写真②日々の暮らしに溶け込むめがね橋(笠松橋)

日々の暮らしに溶け込むめがね橋(笠松橋)

 その背景には、阿蘇山噴火による豊かな凝灰岩地層がある。石工たちは、この地域素材を活用し、八代城の石垣築造、干拓樋門、石積みの棚田、めがね橋など、まさに都市づくりの先達となった。彼らは、単に職人ではない。オランダ伝来の「めがね橋」の架設技術を学び、依頼主の要望に応じた細やかな設計を施し、人材育成、資金運営までをトータルにマネージメントする優れた技術者集団でもあった。そして、石工たちが切り拓いた広大で豊かな農地では、米はもとより、国産の8割を占めるいぐさ、国内最大の柑橘類・晩白柚(ばんぺいゆ)、国内有数のトマトなど豊かな富をもたらした。

 日本遺産のこうした物語は、起承転結で語られるが、なかでも大切なのは地域の未来を語る「結」の部分であろう。これら歴史文化の物語を生かし、地域の未来(ビジョン)を描き、その実現のための事業の策定と、これらを担う組織と人材を育てていく「地域活性化計画」である。

 地域の方々が忘れてはいけないのが、「お国一の貧地」を豊かな地域へと切り拓いてきた先人たちの努力と英知である。その精神を未来の地域づくりや産業創造に生かすことこそが、日本遺産の大きな狙いでもある。

(日本観光振興協会総合研究所顧問 丁野 朗)

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