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外国人の「住民」と生きる地域を~群馬県大泉町・加藤博恵さんを偲んで(上)

町内のブラジル人学校の卒業式で、生徒や教職員と並んで記念撮影する加藤さん(右から6人目)=大泉町提供

日系ブラジル人をはじめとする外国人住民を多く抱えることで知られる群馬県大泉町で企画部長を務めた加藤博恵さんは、町の外国人施策のキーパーソンだった。「外国人は単なる労働力ではない。同じ地域の住人だ」という姿勢を貫き、役場内でも外国人コミュニティーの間でも厚い信頼を得ていたが、昨年2月、病気のため惜しまれつつ亡くなった。まだ58歳だった。

その直後の昨年4月1日、日本全国で改正出入国管理・難民認定法(入管難民法)が施行された。中小・小規模事業者などの人手不足を解消するため、外国人の新しい在留資格「特定技能」を創設し、日本での就労への門戸を拡大するものだ。今年1月末時点で約3000人が資格を取得している。

これからますます日本に住む外国人が増える中で、加藤さんだったら今、外国人と向き合う地域をどう引っ張っていくだろうか――。「1年」の節目に、大泉町で加藤さんをよく知る人たちに、その足跡を振り返りながら語ってもらった。
<取材・執筆 梁田真樹子(読売新聞)>

人口の2割が外国人の町

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大泉町内で、ブラジル人向けの食材などを扱っているスーパー「タカラ」=大泉町提供

 大泉町には終戦まで、戦闘機「隼」を生み出した「中島飛行機」の飛行場などが集まっていた。戦後は中島飛行機の流れをくむ富士重工業(現SUBARU)などが工場を構える「ものづくりの町」として発展した。バブル経済期の1990年に入管難民法が改正され、日系人に「定住者」としての在留資格が与えられるようになると、日系ブラジル人やペルー人らが職を求めて町に移り住むようになった。

 一定期間働いたら帰国するつもりだった彼らだが、治安のよさなどから定住の道を選ぶようになる。町の人口は今年1月末時点で4万1977人。その19.05%に当たる7997人が外国人だ。最も多いのは4589人のブラジル人で、1008人のペルー人が続く。

自ら外国人の輪の中へ

 そんな町の職員として、加藤さんは約20年にわたって、外国人施策に携わってきた。災害時に外国人住民に的確な情報を伝える仕組みを検討したり、日本人と外国人が交わる様々なイベントを考案したり――。中央省庁などからのヒアリングや、パネルディスカッションへの登壇といった機会も多かった。実績が評価され、2017年4月には女性で初めて企画部長に就いた。

 外国人と関わるようになったのは1999年、「まちづくり推進部広報広聴課」に配属されてからだ。町の広報紙で、日系人の受け入れを始めて10年の特集記事を企画し、取材でブラジル人学校「ジェンテ・ミウダ校」などに足を運ぶようになった。訪問を繰り返しているうちに、学校側が町の公立学校や日本人コミュニティーとの交流を希望してもどうしたらよいか考えあぐねていることに気づき、バーベキューなどのイベントを提案するようになった。

 同校教員の天野クラウジアさんは、「加藤さんは子どもたちから、『教育長!』と呼ばれて慕われていたんですよ」と振り返る。「私たちが声をかけなくても、彼女の方から学校に現れてくれました。そのおかげで、私たちブラジル人と町との連携は今も続いているんです」

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ジェンテ・ミウダ校のクリスマスパーティーで、子どもたちにまじってサンタクロースに扮する加藤さん(右端)=大泉町提供

困った時は必ず助ける

 近年、町内ではネパール人やベトナム人も増え出している。大泉町に隣接する太田市でレストランを営み、地域一帯のネパール人のまとめ役を務めるセルチャン・ブッディさんは、「加藤さんは親のような感じでした」と話す。

 2015年のネパール地震の際、自分たちの募金の取り組みが群馬県の地元紙で取り上げられた。ネパール人コミュニティーとのつながりを求めていた加藤さんは、記事を読むとすぐにブッディさんに連絡。多文化協働課の職員たちとネパール人の集まりに顔を出すなどして、関係を築いていった。

 「たとえば北朝鮮がミサイルを発射してJアラート(全国瞬時警報システム)が出ると、加藤さんはすぐ『ネパール人の皆さんに連絡回してますか』と電話をかけてきました。ネパール人が事故に遭った時もいろいろな人と掛け合って、困った時は必ず助けてくれました」

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太田市の自分のレストランでレジに立つブッディさん。
ネパール語と日本語のあいさつが書かれた紙を貼っているのは、「日本人とネパール人がそれぞれの言葉で交流できるとよいのでは」と、加藤さんが提案したからだという

顔の見える信頼関係を築け

 一方で、外国人に厳しく接することもあった。クラウジアさんは「時間を守るといった日本のルールや、様々な制度について教えてくれて、守らないと怒られたこともありましたよ」と語る。

 日系ブラジル人として来日して帰化し、町のポルトガル語通訳として加藤さんと20年にわたって二人三脚をしてきた角田加代子さんは一度、加藤さんと「けんか」したことがあるという。

 「ブラジル人のイベントを開くから来て欲しいと日本人に呼びかけても断られるなど、難しいことが以前はありました。そんな時、加藤さんからは『お願いばかりではだめ。何かあげるものがないと』と言われたんです。それで、ブラジルの文化を教えたり、お菓子を持って行ったりしながらお願いをするようになりました。その積み重ねで段々と、日本人とブラジル人の関係はなじむようになったのかなと思います」

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涙ぐみながら加藤さんの思い出を話すクラウジアさん(手前)。
角田さん(中央)とジェンテ・ミウダ校長の渡部フランシネイデさんも涙を流した

 「住民と顔の見える信頼関係を築け」――。加藤さんはよく、部下に語っていた。その信頼関係を軸に、加藤さんは日本人と外国人の橋渡し役になっていった。

※肩書きは2019年度当時のものです

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※本インタビューは全3話です。facebookとTwitterで更新情報を受け取れます。

 

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