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外国人の「住民」と生きる地域を~群馬県大泉町・加藤博恵さんを偲んで(下)

ブラジル人の女性がボランティアで運営するバレエ教室で、ブラジル人の子どもたちとふれ合う加藤さん(後列中央)。多文化協働課の服部真課長(同左)や、町のポルトガル語通訳の角田加代子さん(同右)も加わった=大泉町提供

 多くの外国人人口を抱える群馬県大泉町で企画部長を務めていた加藤博恵さんは2018年、約20年間外国人政策に携わって得た知見をフル活用し、外国人の受け入れに大きく門戸を開こうとする出入国管理・難民認定法(入管難民法)の改正に向けて、国に提言を行い続けた。「外国人も地域の住民だ。地域での生活を支えるのは自治体だ」という信条は一貫していた。既に病魔に侵されていた加藤さんは、法施行を見届けることなく、19年2月に58歳の若さで旅立つが、後を担う人たちは、加藤さんの遺志を継ごうと誓っている。
<取材・執筆 梁田真樹子(読売新聞)>

生涯現役

 18年に入管難民法改正に向けた検討が進められていた頃、加藤さんは体調に異変を覚えだした。かつて煩ったがんの再発だった。法務省や文部科学省、また国会議員らとの会合のために上京することは、段々とままならなくなっていった。

 「このままでは職場に負担をかけてしまう」と、加藤さんは2回、辞表を村山俊明町長に出した。だが村山町長はそれを受理しなかった。

 「入管難民法が改正される時、我々の意見がどれだけ国に受け止められているか。どれだけ国の外国人政策が改善されているか。スタートを一緒に見届けよう。復帰して戻ってくるのを信じて待ってる」

 村山町長は、加藤さんに声をかけ続けた。治療などで出勤できない場合は、「今までずっと忙しかったんだから」と、遠慮することなく有給休暇を充てるよう促した。

 加藤さんはそんな町長の言葉について、「うれしい」と日記につづっていたという。母親には、「役場での仕事は本当に楽しい」と語り続けた。

 改正入管難民法は18年12月に成立し、翌19年4月1日からの施行が決まった。だが、施行直前の19年2月、加藤さんはとうとう帰らぬ人となった。告別式には、役場の職員たちはもちろん、加藤さんを慕う外国人の住民も多くかけつけた。

 告別式の場で村山町長は涙を流しながら、「大泉町企画部長の職を解く」と、加藤さんの人事を読み上げた。加藤さんは文字通り、生涯現役だった。

加藤さんの遺志を継ぐ

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加藤さんの思い出を語りながら笑顔を見せる大泉町の村山町長(中央)と長谷川久仁子・企画部長(右)、服部真・多文化協働課長

 「外国人も生活者として地域になじんでほしい。特別な存在ではなく、普通に地域で日本人と外国人がともに暮らすためのつなぎ役を、行政はやっていかなくてはいかないんじゃないかと思うんです」

 企画部長の任を引き継いだ長谷川久仁子さんは、加藤さんの遺志を継ごうと、こう考えている。

 「加藤さんが築いた関係性を脈々と続けないといけないし、新たに加わった国々の住民ともどのように持続的な関係を築くか、考えないといけない。自分から外に出て外国人とつながることが、役場での仕事にも反映させられる。役場の外でもつながっていこうとする取り組みが、大泉町の強みなのかな」

 多文化協働課長の服部真さんも、このように語る。加藤さんにならって、外国人の開く祭りや会合には頻繁に足を運ぶ。「ゴミの捨て方をきちんと学びたい」と相談され、日本人住民との清掃活動を企画したこともある。

 村山町長はこう言い切る。

 「税金を支払う義務を課すのだから、その義務を果たしてもらっている以上は住民サービスを平等に行うのは当然のこと。日本全体では経済を維持するために外国人を『労働力』として入れても、自治体を担う我々は、彼らを『地域住民』として受け入れる」

 今、大泉町に住む外国人の出身地はブラジルやペルー、ネパールにとどまらず、47か国に上る。入管難民法の改正によって、「特定技能」の資格を取得したインドネシア人なども町に住み始めた。加藤博恵さんの背中を思い出しながら、大泉町は「先進自治体」として新たな一歩を踏み出そうとしている。

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大泉カルナバルでブラジル人の参加者と写真を撮る加藤さん(手前左)=大泉町提供

※肩書きは2019年度当時のものです

取材後記

 インドネシアで3年間の特派員生活を経験した筆者は、2015年に群馬県に赴任する際、ローカルでも何らか外国に関わる取材をしたいと考えていた。そこで着目したのが、外国人人口の多さだった。

 正直なところ、具体的で明確なテーマやポリシーを持っていたわけではない。記事を書くに足る視座を定めようと、関係者を訪ね歩いた。そうして出会ったのが、加藤さんだった。

 「外国人も、町で一緒に生きる住民なんです」

 大泉町役場で初めて話を聞きながら、きっぱりと話すその姿にはっとさせられた。そうだ、外国人は「お客様」でも、単なる「労働力」でもなく、この町で、日本で、ずっと生きていく同じ「住民」なのだ――。

 加藤さんが一瞬で植え付けてくれた視点は、2年間の群馬県での記者生活で、ずっと心がけることとなった。群馬県館林市に1歳の頃から住むミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャの少年。「インドシナ難民」として移り住み、今は法廷通訳として活躍するベトナム出身の男性。自立した生活を送るために猛勉強し難関の自動車専門学校に進んだ日系ブラジル人の若者――それぞれに背景があり、地域での生活があった。

 だからこそ、東京に帰任後耳にするようになった「外国人材」という言葉には、今でも違和感を覚えている。個々人の背景や人格を無視し、「日本人」が作り上げたと観念されている「日本」にどれだけ「役立つ」かという視点しかないように響く。

 自ら住民と関わっていく。町の経験を全国に発信していく。自治体職員として、その職責を全うし、「外国人と共に生きていこう」という姿勢を後輩たちに仕事を通じて伝えた加藤博恵さんの存在が、今も人々の心の中に生き続けているのは、心強いことだ。

 個々人、地域のレベルから寛容な日本を作っていくことが、加藤さんへの何よりの追悼になると信じている。

取材・執筆:梁田真樹子(やなだまきこ)
 読売新聞東京本社記者。2003年に入社後、山形支局、国際部、ジャカルタ支局、政治部を経て15年9月から2年間、群馬県の前橋支局に勤務。県政キャップを務める傍ら、群馬県や大泉町など県内自治体の外国人政策の課題を取材・報道する。現在は政治部で外務省を担当。

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