100メートル断崖絶壁の石切場(笠岡市北木島)
[記事提供=旬刊旅行新聞]
疫病の流行は、人類の歴史とともに古い。古く奈良時代にも、今日の新型コロナウイルスのような感染病はあった。遣隋使が持ち込んだ天然痘の蔓延が原因で多くの死者を出し、その終息には十数年という長い期間を要したといわれる。時の聖武天皇が建立した奈良・東大寺の大仏(廬舎那仏)は、この疫病を鎮めるためであり、全国から僧侶を集めて大法要を行ったという記録が残っている。
その大仏鋳造用の金を供給したのが、古来「みちのく」と呼ばれた陸奥国である。その最初の金の産出地が、宮城県・涌谷町にあり、一帯は「黄金山産金遺跡」に指定されている。金が東大寺に献上されたとき、聖武天皇はその喜びのあまり、年号を天平から天平感宝に改元したといわれる。霊峰と呼ばれる箟岳(ののだけ)山の南麓には、産金の地を記念し建立された仏堂跡と黄金山神社がひっそりと佇んでいる。
「みちのく」の金の象徴は、奥州平泉中尊寺の金色堂である。金色堂は、やや時代が下って平安時代後期に建立された仏堂。奥州藤原氏の初代、藤原清衡が1124(天治元)年に建立した。金色堂の名の通り、堂は内外ともに総金箔貼りで、扉、壁、軒から縁や床面に至るまで漆塗りの上に金箔を貼って仕上げられている。
これらの金は、三陸リアス海岸沿いに形成された約4億5千万年前の花崗岩で構成される地層が生み出したものである。
その1つ、古くから良質な金や水晶の産出で知られた岩手県陸前高田市の玉山金山遺跡は、戦国時代、伊達政宗が金山奉行をおいて統治したもの。山頂の玉山神社に至る道に、かつての「精錬所跡」や最盛期の坑口「千人坑」が残っている。
さらに明治以降になると、各地で大規模な鉱山開発が進んだ。空前のゴールドラッシュである。その一翼を担ったのが、宮城県気仙沼市にある鹿折金山と大谷鉱山である。鹿折金山は1904年に日本最大の自然金(モンスターゴールド)を産出し、同年のセントルイス万博に出品して世界に大きな衝撃を与えた。一方、大谷鉱山は1935年ごろの最盛期に年間1万㌧もの金を産出し、1300人の従業員を抱える一大鉱山町を形成した。
砂金取りの時代から近世の金山開発、近代金鉱山への発展という日本の産金史を物語化したのが、2019年に認定された日本遺産「みちのくGOLD浪漫」である。
東日本大震災からやがて10年を迎える三陸地域。大切なことは、地元の人々が忘れていた地域の歴史を掘り起こし、誇りと自信を取り戻すことである。そして、その価値を後世まで伝え生かすためには、地域の未来を形にする新たな事業を仕掛けていくことである。
活用事業は未だ緒についたばかりだが、日本遺産という地域ブランドを生かし、この地が再び金の輝きと浪漫を取り戻すことを期待したい。
(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)
▼「地方公務員オンラインサロン」のお申し込みはコチラから
https://camp-fire.jp/projects/view/111482
全国で300名以上が参加。自宅参加OK、月に複数回のウェブセミナーを受けられます
▼「HOLGファンクラブ」のお申し込みはコチラから
https://camp-fire.jp/projects/view/111465
・月額500円から、地方公務員や地方自治体を支援することが可能です
※facebookとTwitterでHOLG.jpの更新情報を受け取れます。