インタビュー

【浜松市長 鈴木康友氏 #1】「財政改革」と「財政健全化」は一丁目一番地

鈴木康友5

【鈴木康友氏 経歴】
1957年浜松市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、松下政経塾に第1期生として入塾。卒塾後は企画会社経営、政治団体役員等を経て、第42回衆議院選挙において、静岡県第8区より初当選。衆議院議員を2期務めた後、2007年浜松市長選挙初当選。2011年再選 現在、浜松市長3期目。第3回マニフェスト大賞首長部門、最優秀賞受賞。

―「日本の構造研究所」が2017年10月に発表した「全国14政令市長 財政再建ランキング」で、浜松市の鈴木康友市長がトップの座を射止めた。この調査は、「地方債現在高」「実質公債費率」「将来負担比率」の推移を市長別に追ったものを数値化したランキングである。地方自治体の財政問題が世の中で大きく扱われることは少ない。しかし、その重要性を鑑みて、健全化に大きく成功している鈴木康友市長の想いと取り組みを伺った。

必ず国は破綻する

加藤:「全国14政令市長 財政再建ランキング」にて、全国14政令市長の中で、鈴木康友市長がトップとなりました。財政再建を進められる市長の想いや具体的なアクションをお聞きできればと思っています。

鈴木市長:ベースからお話しますと、中田宏(前横浜市長 日本の構造研究所 所長)さんもそうですけれども、私も松下政経塾の出身で、一期生なんです。中田さんは塾長であった松下さんから直接指導を受けたことはあまりないと思うんだけど、私たちのときは月に2回ぐらいは松下さんがお話されていました。

 今でも忘れないんですけど、その頃、松下さんが言っていたのは、「日本がこんな国家経営をやっていたら21世紀になるころは、大変な借金を抱えて国が立ち行かなくなる。大変なことになる」ということです。

 当時、黄金の80年代と言って、日本が絶頂期の走りだったわけですよね。その前年にエズラ・ヴォーゲル博士が『Japan as Number One』という有名な本を書かれて、日本が一番調子の良かったとき。そんな日本が21世紀に借金を抱えておかしくなるなんて、「ほんまかいな?」と、正直、聞いている私たち塾生にはそういう感覚があったんです。

 松下さんは、「日本の仕組みは税金を国に集めてそれを地方にばらまく、こんなことやっていたらいくらお金があっても足りん」と。「必ず国は破綻する」と言っていたんですよ。そして、その通りになってきているんですね。

 その解決策として、道州制の実現を当時から提唱していました。道州制は今でこそ一般的に言われるようになったけれども、その当時は斬新でした。「松下電器だってこれだけデカくなると、本社で全部コントロールができないから、事業別にするんや」とわかりやすく説明してくれました。

「財政問題」「地方分権」はライフワーク

鈴木市長:さらに、松下さんは、「松下政経塾の“経”は、政治経済の経じゃない」と。「これは国家経営の“経”だ」と言うわけですよ。だから、国の政治を正していかなきゃいけないっていうのが、松下さんが政経塾を作った最大の理由だったのです。

 従って、政治の道へ進んだ私にとって、財政の問題と道州制を含めた地方分権は自分のライフワークみたいなところがあります。ただ国会議員のときは、何にもできなかったです。国があまりにも巨大過ぎてですね。しかも野党の若手議員ですから、『言うだけ番長』ですよね。いろいろな発言はできたとしても、それが実現できるわけでもなかった。

「財政改革」と「財政健全化」は一丁目一番地

鈴木市長:そんな中、ちょうど郵政選挙で落選して浪人しているときに、2007年の市長選へ出馬を要請されたわけです。当時、スズキ(スズキ株式会社)の会長を中心に経済界は行財政改革を進めたかった。それで私が引っ張り出され、大変な選挙だったんですけど当選しました。もちろん、選挙でも行財政改革が争点になりました。

 いざ市長になってみると、国ではできなかった改革が、浜松市という規模だったらできるという確信を持ちました。浜松市は2005年に12市町村が合併をして、伊豆半島より大きくなり、「国土縮図型都市」と言われるようになりました。

 道路の総延長は8500㎞、これはダントツ日本一で、同規模の静岡市の2.5倍あるんですね。橋も6000橋ぐらいあって、膨大なインフラを抱えている。さらに過疎地などの条件不利地域もたくさん抱え、普通だったらものすごくお金がかかる。一方、市町村合併で、財政力がガクッと落ちました。まさに八方塞がりですが、浜松で結果を出せば、それこそ日本のモデルになると思いました。「浜松ができたんだから、他ができないはずないじゃないか」と。それが就任したときの覚悟ですね。だから、財政改革と財政健全化というのは、一丁目一番地だったんです。

二度と国会に戻るつもりはない

加藤:当時の行政の運営に不満があり、行財政改革をしてほしいというニーズがスズキなどの企業側から出ていたのでしょうか。

鈴木市長:そうですね。行財政改革の審議会もありましたが、いろいろな提案をしても、それが市の中で実現をしないということで、市長選に私が出ることになりました。最初は国会へ戻るつもりでいたので断ったんだけど、押し切られてですね、ただ、やるからには徹底してやろうと、覚悟を決めました。
 いま、市長になってみると、実に良い選択をさせていただいたと思っています。だから逆にもう二度と私は国会に戻るつもりはないですね。

 

※本インタビューは全5話です。facebookとTwitterで更新情報を受け取れます。

 

他のインタビュー記事を読む

ネイティブアド



頁トップへ