コラム

“ショウシン”について-村川美詠#1

村川美詠 コラム

(文=村川美詠)

このたび、ホルグの加藤さんからのご依頼で連載記事を書くことになりました。以前、加藤さんにインタビュー記事を書いていただいた諫早市の村川美詠と申します。よろしくお願いします。

今回のご依頼は「女性の方の連載をしていて、やはり女性の活躍が大事だなーと思っているので、女性職員が活躍するために、女性職員に伝えたいこと、男性職員に伝えたいことを書いてくれませんか?」、それに気軽に「いいですよ!」と答えたものでした。

普段から「頼まれごとは試されごと」「返事は“はい”か“YES”か“喜んで”」と言っている手前、「はいはい!」と引き受けてはみたものの、人事異動があり、年度初めで落ち着かない中なので、練れた文章は書けないことをお詫びしながら(すでに言い訳)普段仕事をする中で思っていることを“気軽に”に書き留めてみたいと思います。

記事は全6回、テーマは、前半の3回が女性職員に伝えたいこと、後半の3回が男性職員に伝えたいことです。

第1回「“ショウシン”について」

小心、昇進、焦心、傷心…。私、こう見えて小心者ものです(笑)。今でこそ、「かっこわらい」がつきますが、子どもの頃は、一人っ子で内向的な性格だったこともあり、当時の通知表には「今年になって少し笑顔がみられるようになりました。」とか「答えがわかっていても絶対に手をあげられません。」などのコメントが書かれています。

公務員になったのも、どんな仕事をするのか全く知らず、与えられた仕事をコツコツこなしていけばいいのだろうという印象から選択したというところです。なので、今、若い人が「市役所に入って、地域を元気にしたいです」と話しているのを聞くと申し訳ない気持ちがします。昭和61年、男女雇用機会均等法が施行された年に入庁した私は、当時、諫早市が採用した3人目の大卒女子で、周りからは「あんたたちは、将来課長にならんばいけんよ」などとよく言われていたものでした。将来課長になる…。小心者の私にとって、それは漠然と恐ろしいことが待ち受けているイメージでした。

それから約20年、窓口職場や職員課(人事、研修、福利厚生)を経験し、今から10年ほど前に男女共同参画課に配属になりました。そこで、様々な人に会い、いろいろなことを学び、女性の管理職を増やす意味が腑に落ちた私は、あの恐ろしい課長職についても、「やるんだったらちゃんとやろう。」と思えるようになっていました。

当時、私が腑に落ちた女性登用の話はこうです。たとえば、10人のグループで、「今年の旅行どこに行く?」となったとき、「海に行きたい」という人が9人で、「山に行きたい」という人が1人なら、当然のように海に行くことになる。「山」という人が2人でもたぶん海に行く。だけど、それが3人になると、「山に行きたいという人もいるんだなぁ」ということが伝わり、4人になると「どっちに行く?」という対話が始まる。その結果、「海も山もあるところに行こう」ということになるかもしれないし、「今年は海だけど、来年は山ね」とうことになるかもしれない。意思決定の場に女性を増やすということはそういうことなのだという話です。

確かに、議会や庁議や地域における会議など、大事なことを決める場に女性がいなかったら、女性の意見を届けることができない!そう思った私は、それで、やる気は出たのですが、その後の異動では、なかなか課長昇進のチャンスはめぐってきませんでした。となると、異動時期がくるたびに、焦心に駆られたり、傷心の時間を過ごしたり。課長補佐時代は7年続きました。次回「“ショウニン”について」に続く。

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【村川美詠氏 過去のインタビュー】
女性として働きづらかった時代の経験を糧に、活き活きと働く女性のロールモデルを目指す

村川美詠氏 経歴
1986年、長崎県にある諫早市役所に新卒で入庁。当時、大卒としては3人目の女性職員となる。選挙管理委員会事務局、障害福祉課、職員課、男女共同参画課などを経て、現在、生涯学習課長として管理職を務める。活躍は市役所内に止まらず、諫早市のオフサイトミーティング“おこしの会”や、諫早の観光を盛り上げる“もりあげガールズ”を立ち上げるなど精力的な活動を続ける。女性が働きづらい時代の中で道を切り拓いて、活き活きと働く女性のロールモデルを実践している。

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