(文=寺本英仁)
はじめに
『ビレッジプライド 「0円起業」の町をつくった公務員の物語』
今僕は、40代後半。いわゆる団塊ジュニア世代で、組織のなかで言えば、中堅どころなのですが、この本は、まだ新人の、(あんまりやる気のなかった)20代の頃から四半世紀あまりの公務員人生でやったこと、感じたことを、思い出しながら書いた本です。
どうせライターが書いたんだろうって? そんなことないです。夜、寝る時間を削って自分で書いた物語なんです。何せ、20年以上前のことから遡って書きましたから、かなり年月が経過していることもあり、記憶の間違えもあって、登場した町の皆様にも多少はご迷惑をかけたかもしれませんが、「邑南町のことを書いてくれてありがとうね。自分が住んでいる町が本になるのは、嬉しいもんだねえ」と声をかけてくださる人も多くいて、あ、書いてよかったんだと改めて感じています。
四半世紀前、自分が東京の大学を卒業し、故郷にUターンして石見町役場というところに入庁しました。今と違って、大学を出て故郷に帰って就職するのは、なんだか「都会に負けた感」があったのも事実です。Uターンして公務員を目指した動機はかなり、不純というか、なし崩しです。祖母が、「英仁、いいから役場に入れ。働かなくても金もらえるんだから、役場はいいぞ」と言っていたんです。座っているだけでお金貰えるなんていいじゃん!と本気で思っていたフシもあります。要は、町役場で自分が何をしたいのか、何をするべきか、まったく想像しないまま、(とりあえず就職活動もしていなかったので)民間より試験が遅い役場の試験をとりあえず受験し、運よく合格できたということに集約されていると思います。仕事は適当にやって、趣味に生きようと考えていました。僕、ダイビングが得意で、水中写真を撮るのが趣味なんです。本当は水中カメラマンになりたかった……。
こう見えて、小学生時代は身体が弱かったこともあり、おばっちゃん子でした。大病をして、大変なことも色々あったけど、大学を卒業するまで、とにかく楽しく過ごしてきました。20年前は、バブルは終わっていましたが、今よりもまだずっと、国全体がふわふわとしていた気もします。そのふわふわ感のなかで社会人になった僕が、まさか、その20年後にスーパー公務員と呼ばれて、NHK『プロフェショナル 仕事の流儀』に出るなんて……。一番驚いているのは、僕自身です。その番組を観ていた編集者から、本を書いてみないかと誘われたのが、『ビレッジプライド』の出版のきっかけでした。
平成の大合併で考えが変わった
ふわふわと何も考えずに役場に入ったのですが、役人の仕事に閉塞みたいなものを間もなく感じました。一日中、高齢者のためのゲートボールの審判をやっていたりすると、自分は何やっているんだろうか……と鬱々とすることもあり、次第に日常を「楽しむ」ことを忘れつつありました。想像以上に仕事が楽しくなかった。そんなとき、平成の大合併(平成16年)により、僕が入庁した石見町役場は、羽須美村・瑞穂町・石見町の一村二町で合併しました。そして、邑南町という大きな町ができたのです。
僕が、人格が変わったように俄然仕事にやる気をだしたのは、実はこの平成の大合併のおかげなのです。
合併前後に、自分の生まれたときから住んでいた日和という地域(邑南町は公民館単位で町を12地域に分けている)の保育園や小学校が、人口減により廃校になりました。その頃、結婚し、長男が生まれ、この子たちが大人になった時、果たして自分の住んで居る日和地域、はたまた邑南町はどうなっていくのだろうか……と、それまでは遠い世界の話だと感じていた、「限界集落」や「地方消滅」といった新聞の見出しが、急に我が事として目の前に迫ってきたようでした。
地元の女性(しかも同僚!)と結婚し、子供も生まれた今(ばあちゃんはとても喜んでくれたし)、今さら都会で暮らすことも、はたまた水中写真で食べていくことも、もうできない。気づけば、〝地方のシガラミ〟の中に僕はがっつり絡めとられていたわけです。
住む場所を変えられないのなら、今いる環境を変えるしかない。
そう、今いる環境を、楽しいものにするために。
役場の人間のクライアントは、言うまでもなく、町民の皆さんである。町民の皆さんが「この町は楽しい」と感じることが、すなわち、僕の仕事が「楽しい」ということなのではないだろうか?
いつしか僕は、そんな考えに行きつきました。
そして生まれた言葉が、「ビレッジプライド」――自分の住んでる場所へ誇りを持つこと、だったのです。
ジリ貧の過疎の町に積もった「埃」を、僕が「誇り」に変えていく。
「埃」を「誇り」に変えるため、何度失敗したかはしれません。
でも、自分がやろうと思うことは、全て一歩踏み出してやってみる。小さな町だかこそ、本気で「やりたい!」と手を上げれば、責任ある仕事を任せてもらえるチャンスも都会の大組織よりも多いわけで、やりがいがすぐについてきてくれたのです。
そして、失敗したって、それは敗戦ではない。
一度失敗したら人生の転落の可能性があるのが都会だとしたら、地方は、人が少ない分、何度でもチャレンジできる懐の深さがあることも知りました。
「やめなければ、負けはない」
そう思えば、失敗も怖くありません。僕は、それから、町の中を走り続けています。走り続けて、多くの人を巻き込んで、その渦はさらに大きくなって、スピードを上げて走っていく。
僕に巻き込まれた人たちが、やがて、僕のかけがない大切な人となっていく。
最初は、たったひとりの「ビレッジプライド」でしたが、今、出版とともに、「ビレッジプライド」の輪は、町中、いや、日本中に広がっていくのを実感しているのです。
行政マンの仕事が変化していく
この本の中では、もしも株式会社であれば、「社外秘」であろう、邑南町の経営状態≒数字の変化も隠すことなく入れ込みました。ぜひ、ご活用ください。
また、〈A級グルメ構想〉や〈日本一の子育て村〉を進めていく中で、数字的にどのように町が変化していくかをポイントに読んで頂きたいと思います。
本省の最後には、「行政マンの仕事が変化していく」と書いています。
平成の地域振興に携わる行政マンの仕事は、国からの公共事業など多くの補助金を自分の町に導くことだったかもしれません。しかし、令和はそのやり方が通用しなくなります。国にお金が集まらなくなっているのだから、これからは、地域内のお金を循環させ、少しずつではあっても拡大させていく地域循環システムを構築していくことが重要になってくると考えています。
地方公務員という仕事から逃げ出せないのであれば、自ら前向きな気持ちになって一歩を踏み出してみようと僕がまず取り組んだのが、インターネットショップ〈みずほスタイル〉でした。もしかしたら、ネットショップで全国いや世界中の人に邑南町の食材を売れるのではないかと、思いついたのがきっかけです。
その時にできた、町内の生産者の絆が今の仕事に大きな財産になっています。
また、ネット販売の顧客は首都圏に非常に多いことに気が付いたので、首都圏に直に乗り込むことを決めました。都会のホテルやデパートに、邑南町の商品を置いてもらおうと考えたんです。つまり、B to Cから B to Bに戦略を変更したのですが、1万人規模の自治体では、どんなに頑張ってもその生産量が首都圏の需要に追いつかないことも知りました。
さらん、その頃は農商工連携や6次産業と言う言葉が盛んに世間に出回っていましたが、どの自治体も同じような商品を作っているので、競争が激しいことを身を持って感じました。
首都圏の敷居は、高かった――限りなく挫折に近い失敗を、味わったのです。
ならば……そう、僕は大きい壁にぶち当たったほうが燃えるタイプ。首都圏で販売をすることが難しいのなら、邑南町にお客さんに来てもらえばいいじゃないか! これが、〈 A級グルメ構想〉の入り口でした。
首都圏に商品を出したときは、十把一絡げでも、「ビレッジプライド」を持って、トライ&エラーを繰り返せば、オリジナリティ溢れるものになる。
そうやって試行錯誤をくりかえし、平成23年度、邑南町は全国でも初めてのビジョンとなる、〈邑南町農商工連携等ビジョン〉なるものを策定しました。
① 観光入り込み客100万人
② 移住者200名の確保
③ 起業家5名の育成を5年間で達成するという、当時はまだ珍しかった、KPIを掲げました。
その秘策として僕は、一流の料理人を育成することに目をつけました。
地域にないのは「あなたのアイディア」と「ビレッジプライド」
〈農業が基幹産業〉というフレーズを邑南町もよく使っていましたが、その農産物は都市部の販売を目指すことばかりを考えていたと思います。美味しいものを頑張って作れば作るほど、都会のバイヤーに目をつけてもらい買われ、都会のレストランに流通し、都会の値の張る料理となり、都会のお客が食べる。つまり、どんなにいいものを地方が作って出しても、結局は都会でしかお金は回らないのではないか!? と。しかも、少量多品目の農産物では、いくら素晴らしいものでも、都会の需要に供給が追いつかない――それならば、農産物や加工品を地元で売って、地元でお金を回すために、(道の駅や産直市場だけでなく)、地産地消レストランを町に増やせばいいんじゃないのか? と考えたのです。
これを、〈A級グルメ〉と名付けました。
そのためには、町が料理人を育成する制度――こちらは、〈耕すシェフの研修制度〉名付けました――を作り、東京に負けないイタリアンレストランを作って、将来は都会の料理人を目指す若者に邑南町ならではの研修をしてもらおうと企画したのです。
この、地元の人も移住者も巻き込んだ〈A級グルメ〉奮闘記こそが、本書『ビレッジプライド』の読みどころだと思います。が僕と乖離していく移住者や町の人たちとその奮闘をこの章では書いています。
その受け皿として、「食の学校」や「農の学校」を立ち上げて、町の人が邑南町の「食」と「農」を学べる場を作り、資金面でも地元金融機関と連携し、支援する体制を作り、町の人が起業できる仕組みを作りました。
と、つい地元愛で筆を走らせてしまいましたが、本書『ビレッジプライド』は、邑南町の奇跡と軌跡を自慢げに描きたかったわけではありません。日本中、どこの町でも村でも、都会に頼らずに実現可能、持続可能なアイディアとヒントをたくさん詰め込んだつもりです。
「僕の町は田舎だから、夢も仕事もない」…だって? それは違うよ、ないのは、あなたのアイディアと、ビレッジプライドだ! 是非、お読みください。
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