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自治体の現場から国を動かすことが出来る時代

三海厚氏の経歴
1966年東京都生まれ。中央大学法学部卒業。証券会社勤務を経て91年11月に株式会社ぎょうせい入社。請負出版の営業、編集部門を経て99年から月刊『地方分権』の編集に携わる。2001年から月刊『ガバナンス』を担当。08年4月から副編集長。自治体職員の自主研究グループを紹介する『もっと自治力を!』などを担当。

‐月刊『ガバナンス』編集長の千葉茂明氏へのインタビューに続き、副編集長の三海厚氏にお話を伺った。千葉氏は首長や地方議会の取材を担当することが多い一方で、三海氏は自治体職員の自主研究グループなどの取材を重ねている。20年近く地方自治体の現場を回られた三海氏に、地方自治の現場の変遷や自治体職員のあるべき姿などについてお聞きした。

加藤(インタビューアー):『ガバナンス』のお仕事に関わった経緯を教えていただけますか?

三海氏:社会人のスタートを切ったのは証券会社でしたが、1年ほどで退職し、その後株式会社ぎょうせいに入社しました。まず自治体が発行している印刷物の請負や制作の営業を約3年、その後制作部門を3年ぐらい担当しました。

 そして、2000年に地方分権一括法が施行されるのに合わせて立ち上げられた『地方分権』という地方分権改革に伴う自治体実務に関する雑誌の編集局へ99年に異動したんです。そこで初めて雑誌の編集に携わるなかで、地方自治や地方行政の幅広さや奥深さを知りました。その後、千葉も話したように、2001年に『地方分権』と『晨』を統合し、『ガバナンス』を発刊した際に『ガバナンス』に移り、現在に至っています。その間、2011年4月から2014年3月までの3年間、他部署に異動していた時期があります。

ガバナンス201709

地方分権は第三の改革

加藤:分権一括法が施行された当時、社会の反応はどういうものだったのでしょうか?

三海氏:私は研究者ではないので、学術的な観点からお話しすることはできませんが、2000年の地方分権改革によって、今まで上下・主従の関係だった国と地方の関係は対等・協力へと根本的に変わりました。具体的には機関委任事務制度が廃止されて、自治事務と法定受託事務となり、国の関与も法定化されるとともに、国から地方への大幅な事務の移譲が行われています。それを受けて自治体では、条例等の整備や仕事のあり方の見直しなどが求められました。分権一括法は475本の法律を一度に改正するものでしたから、それに基づく条例等や事業を見直すだけでも大変な作業です。また、同じ2000年には介護保険法も施行されています。これも高齢者福祉を措置からサービスへと転換させる大改革といえるもので、サービス提供主体が市町村とされたこともあり、「地方分権の試金石」といわれました。

 分権一括法は日本の統治機構、国のかたちを変える大改革だったため、明治維新、戦後改革に続く、第三の改革ともいわれ、新聞等のメディアではそれなりに大きく取り上げられていました。ただ、自分の生活などへの直接的な影響が見えづらいため、一般の人には、あまり認識されていなかったように思います。かえって介護保険制度の注目度の方が高かったかもしれません。いずれにせよ、2000年の地方分権改革は、日本の大きなエポックであり、三位一体改革や平成の大合併、第2次地方分権改革をはじめ、その後の地方自治の変化の起点となっています。そういう意味で、社会が転換していく原点の場に居合わせたのは幸せだったと思います。

自治体の現場から国を動かす

加藤:分権改革の変化はどこに感じましたか?

三海氏:国と地方の関係が変わり、自治体の自由度が高まったことで、社会課題などへの対応や制度改革に対する主体的な動きが増えました。いわゆる改革派の首長たちの分権改革をさらに進めていくための動きや、政策や施策での「善政競争(良い事例を競って生み出そう、模倣しようとする)」の動きはその一つの表われだと思います。

 また、現場の自治体職員の人たちが社会課題を発見し、向き合い、取り組んでいくことで国の法律や制度を動かしていくものもありました。例えば高齢者虐待は、横須賀市や金沢市が地域の課題として独自に対応し、制度化したことが、国の法律制定につながっていきました。また、多重債務などの消費者問題と生活困窮者対策をつなげていったのも自治体の取り組みからです。最近の空き家対策やごみ屋敷対策などもまず自治体の条例での対応などが進みました。もともと環境対策や情報公開など、自治体が国に先駆けて実施してきたものはありましたが、分権改革以降そうした取り組みが増えてきたと思います。

分権改革は道半ば

加藤:地方分権改革の課題は?

三海氏:さきほどお話ししたように、分権一括法の後も分権改革は三位一体改革や第2次地方分権改革などの形で進められてきました。2000年の分権改革は「ベースキャンプ」と表現されたように、積み残された課題も多かったためです。そのなかでも最大の課題が税財源問題で、三位一体改革は税財源移譲をテーマに議論されましたが、税源移譲と同時に地方交付税を大きく減額されたことで、平成の大合併が進みました。

 その平成の大合併の伏線になっていたのが、基礎自治体の受け皿論です。2000年改革の事務移譲は国から都道府県へが中心でした。それをより住民に身近な市町村に移していくには、受け皿として市町村の規模が小さいという話から合併が進められたわけです。結果として3300から1700へと市町村数が半減し、規模が拡大したことで、第2次地方分権改革で都道府県から市町村への権限移譲が行われました。このときには国が法令で自治体を縛る「義務付け・枠付け」の見直しも進められています。

 一方、地方自治には、地方自治体による「団体自治」とともに、「住民自治」があるといわれています。地方分権改革が団体自治の制度改革であったことから、「住民自治」の充実を図る必要性も叫ばれ、そうした試みも行われてきました。こちらは国による制度改革ではなく、自治体独自の取り組みが中心ですが、さまざまな住民参画や地域内分権などが行われています。北海道ニセコ町が制定した自治基本条例は、そうした取り組みを担保するためのものです。また、住民の代表機関である地方議会の充実・強化もその一つで、千葉が前回話したような、地方議会改革が進んでいます。北海道栗山町の議会基本条例は、自治基本条例の後にできたものですが、制定数は自治基本条例を大きく上回っています。

 これらの課題も含めて分権改革はまだ道半ばだと思いますし、現在でもさまざまな形で進んでいます。ただ、一方で、西尾勝先生がおっしゃっているように、「自治体はこれまでの改革の果実をきちんと使えているのか」という疑問もあります。分権一括法の施行から17年経ちましたが、一度立ち止まって足元をきちんと振り返ってみることも必要かもしれません。

※本インタビューは全3話です。facebookとTwitterで更新情報を受け取れます。

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