[記事提供=旬刊旅行新聞]
伊勢神宮に至る三重県・明和町には、かつて「幻の都」と呼ばれた斎宮跡とその復元遺跡がある。その物語が2015年、初の日本遺産に認定された。9月中旬、その認定10周年を記念するシンポジウムにお声掛けいただいた。
20年に一度の伊勢神宮式年遷宮を9年後に控え、「斎宮と伊勢神宮のストーリーが紡ぐ持続可能な観光地域づくり」と題して、地域活性化計画とこれからのまちづくりの方向性をテーマに熱心な討議が行われた。
伊勢神宮は知っていても斎宮は意外と知られていない。斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれ、斎王の宮殿と斎宮寮という役所のあったところである。
斎王は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれ、都から伊勢に派遣された。最初の斎王は、天武天皇(670年ごろ)の娘・大来皇女で、制度が廃絶する後醍醐天皇の時代(1330年ごろ)まで約660年間続き、その間記録には60人余りの斎王の名が残されている。
斎宮跡は、1979年に国史跡に指定された。以来、県の斎宮跡調査事務所の開設とともに本格的な調査も開始された。斎王の森周辺地区のポケットパーク整備や斎宮歴史博物館、いつきのみや歴史体験館の開館などが続いた。明和町歴史的風致維持向上計画の認定など、保存と活用に向けた積極的な活動も展開されてきた。
こうした活動に加えて、近年は明和町全体の地域ブランド化の取り組みも始まった。その中心が2019年に発足した明和町観光商社(登録DMO)である。「神宮ゲートウェイプロジェクト(斎宮・外宮・内宮)」を掲げ、明和町への観光客誘致や伊勢街道沿いの賑わいづくり、神社を軸にした地域活性化、子供たちの郷土愛育成など力を入れている。
神宮と明和町を結ぶ伊勢街道沿いには、かつて多くの往来客があり、そのなかで盛んになった擬革紙や松阪木綿の御糸織など、多様な資源が残る。擬革紙は表面に皺や凹凸、色を付けて革のような風合いに加工された和紙である。動物性の革を嫌う伊勢神宮土産として発展したとも言われている。

また松阪木綿はこの地域を代表する地域産業だが、そのルーツも伊勢神宮と深いつながりがある。伊勢神宮では毎年春と秋、天照大御神に和妙と呼ばれる絹と荒妙と呼ばれる麻をお供えする神御衣祭が行われている。神御衣は、隣の松阪市との境界にある神服織機殿神社と神麻続機殿神社で奉織されている。これら機殿の技に改善が加えられ、この地方一帯の機業は盛んとなり、これがのちの松阪木綿へとつながっていったといわれている。
シンポジウムでは、こうした地域の歴史とともに、これらを次の時代にどう生かすのか。斎宮という唯一無二の歴史遺産を地域活性化に生かす戦略とその実現に期待したい。
(観光未来プランナー 丁野 朗)