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街角博物館めぐりの拠点「なりわい交流館」

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生業を観光に(神奈川県小田原市)「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(189)」

街角博物館めぐりの拠点「なりわい交流館」

[記事提供=旬刊旅行新聞]

 観光資源とは何か。簡単なようで意外と難しい。古都京都の著名な寺社仏閣、城郭、温泉や、知床のような素晴らしい大自然、巨大なテーマパークなどは、誰もが観光資源と認めるものであろう。
 しかし、近代の産業遺産や現役の工場・工房のほか、特色ある商店街、棚田など農村景観、アニメの聖地、スポーツ施設などが観光資源かと言えば、意見が分かれるかもしれない。正解はないが多くの人々が興味を持ち、その対象へ容易にアクセスできて、かつ楽しめる仕組みができていれば、それは観光資源ということになろう。収益を上げられる事業モデルが確立し、持続性があれば、立派な観光となる。そんな文脈からすれば、神奈川県小田原市の「生業(なりわい)ツーリズム」は、その代表的な事例であろう。
 小田原は、近世以前の北条時代からの堂々たる城下町であった。近世以降の東海道の整備に伴い、街道一の宿場町としても栄えた。従って多くの人口が集積し、数多くの旅人が往来した。その住民や旅人をもてなすために、数多くの生業が生まれた。相模湾に面した小田原は、近海の豊かな漁場だったのだ。
 その資源を加工した蒲鉾や鰹節、干物など海の幸に恵まれた。箱根の山にも近く、良質な森林資源を生かした漆器や寄木細工などの加工品も盛んだった。さらに、足柄や曽我のような豊かな農地にも恵まれたことから、茶や梅干しなど里の産物にも恵まれた。

一夜城から一望する小田原市街と相模湾

一夜城から一望する小田原市街と相模湾

 これらの生業店は、店の一角に小さなミュージアムを設け、来訪者を受け入れる「街角博物館」として整備されている。古い店では、江戸初期の1661(寛文8)年から日本茶・和紙などを商う江嶋、中国から日本に渡り、博多・京都を経て、応仁の乱後に北条を頼り小田原に転居、500年にわたって操業する「ういろう」(外郎家)。同じく1633(寛永10)年から400年近く薬屋を営む、済生堂小西薬局などの老舗もある。
 街角博物館の整備とともに、地域の多様な生業を訪ね、体験し、食を味わう。小田原のまち歩き型観光(生業観光)の基本は、まさに地域に根差した暮らし文化を味わう「文化観光」でもある。
 小田原観光と言えば小田原城であり、コロナ前には海外観光客も順調に増えていた。ただ小田原城は城だけの観光にとどまらず、その城下に広がる経済や暮らしぶりを見て初めて理解できる。生業観光は、その全体像を見ていただく試みでもある。
 小田原城に偏りがちな観光の分散化も今後の大きな課題だ。海沿いや山、里に根付く生業もそうだが、市街地から少し離れた一夜城や、隣接の早川漁港も誠に魅力的なエリアである。北条攻めの豊臣秀吉軍が拠点とした一夜城は、日本一の構え(総構え)を持つ小田原の町並みを眺め理解するにも、格好の存在である。小田原の次の観光戦略の展開に大いに期待したい。
(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)

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