実りの沼「多々良沼」の湖面に光る白鳥の群れ
[記事提供=旬刊旅行新聞]
「里山」「里海」は、よく耳にする。では、「里沼」という言葉をご存じだろうか。
「里山」とは、人が自然に働き掛け、エネルギーや生活素材、食料などを手に入れるとともに、メダカやカエル、カタクリなど多くの生き物が生息できる共生空間である。「里沼」は、その「沼」版と考えていただければ理解できようか。
2月中旬、この珍しい「里沼」をテーマにして19年度日本遺産に認定された、群馬県館林市の「里沼シンポジウム」に参加させていただいた。では何故、館林なのか。
館林には、有名な国指定名勝「躑躅ケ岡(つつじがおか)」公園のある館林城の「城沼」がある。園内には樹齢800年を超えると言われる古木をはじめ、1万株のツツジが見事である。近くには、童話「文福茶釜」の舞台となった茂林寺と茂林寺沼が広がる。さらには、平安時代に蹈鞴(たたら)製鉄が行われていたことから命名されたという多々良沼がある。この沼周辺は中世以降、用水が引かれ、日本有数の穀倉地帯に変身した。明治以降、ここで獲れる小麦をもとに館林製粉(現日清製粉)が創業した。
実は、関東周辺にはこうした沼は数多くあった。だが、ほとんどの沼は江戸時代の新田開発に伴う耕作地の拡大、さらには工場用地や宅地化といった都市化とともに、次々と姿を消していった。
館林に沼が残った理由は、17世紀後半の河川の付け替え工事により、旧流路だった低地に新田が開発されたため、沼を埋め立てる必要がなかったからだという。また、沼は古くから人々の暮らしの中に定着していたことが、埋め立てを阻止するもう一つの大きな背景となった。
茂林寺沼は人々の信仰と結びついた「祈りの沼」であり、多々良沼は、麦をはじめ豊かな穀類の自然の恵みを与える「実りの沼」。そして旧館林城近くの城沼は、要害の沼「守りの沼」として生き残った。
今や希少なこの「里沼」を生かし守ることが、館林という地域のブランディングにつながる。シンポジウムでは、須藤和臣館林市長の「ヌマ(沼)ベーション」の提案を受けて、パネリストの皆さんから、さまざまな事業案が披露された。
これらを担うのは紛れもなく地域の市民・事業者である。だから「ヒト」のイノベーションが基本である。小さくても、自らが事業を提案し実現する「沼の担い手」づくりが不可欠である。また、沼の周辺に広がるそれぞれの個性的なコミュニティーが、沼の価値を知り、新たな地域づくりにつなげる活動を進めて欲しい。やや古いタイプの観光地と思われている館林の、新たな視点からのイノベーションに、大きな期待を寄せたい。
(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)
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