インタビュー

【菊池市 野中英樹氏:第2話】自衛隊の活動を見て ボロボロ涙が出てきた

野中英樹1-1

人口5万人の市で5000ページいいねを獲得するメディア

加藤:菊池市公式のフェイスブックページには、どのくらいの「いいね」数があるのでしょうか?

野中氏:当時のページいいねは3000ぐらいで、現在は大体5800ぐらいです。

加藤:すごいですね。市外の人も「いいね」を押しているのだとは思いますが、人口5万人を母数としたら、10%を越えますね。

野中氏:ピンチはチャンスじゃないですが、震災時には生活支援のほかに、公的支援だったり、市民のボランティア活動だったり、取材したことをリアルタイムで発信しました。たくさんの人が応援してくれていることや、みんなで力を合わせていることってやっぱり拡散しますし、それが共感を得て、新規の「いいね」の獲得にもつながりました。

被災者でなくても「良いまちだな」と思ってもらえる情報発信

野中氏:多分、大震災直後って防災情報を収集して発信するだけで精一杯なんです。その中で取材までして、活動状況を伝えるのは大変でした。

加藤:そうですよね。そういった情報を流していたのは、菊池市以外はそんなになかったと聞いています。

野中氏:そうかもしれないですね。でも、こんなときこそ、自治体の広報担当者としてメンタルに訴えたかったんです。少しでも元気になってもらいたい。一人でも多くの人に前向きになってもらいたい。

 もちろん、基本的には情報は被災者向けに出しているんですけど、被災者じゃない人が見ても「支え合うって素晴らしい」「菊池って良いまちだな」って、思ってもらうことにもなったと思います。市外の人も多く見ているプロモーション用のフェイスブックページを使って発信していましたから、そのバランスは意識していました。

加藤:他に意識したことはありますか?

野中氏:復興フェーズに移行してからは、積極的に復興キャンペーンを行いました。ちょうど国の補助事業で「九州ふっこう割」(九州観光支援旅行券)が実施されていたこともあり、インパクトのある仕掛けとして「きくちさんいらっしゃい事業」を実施しました。

 全国の菊池(地)姓の皆さんや菊池一族にゆかり・関心がある人を菊池市へ招待する企画だったのですが、フェイスブックで告知したところ、その記事は約4000のいいねがついたんです。結果的に、全国から200人以上が集まってメディアでも大きく取り上げられ、多くの菊池ファンを獲得できました。新たに支援の輪が広がって、復興の後押しになったと実感しています。

 短い準備期間でしたが、庁内の関係部署が連携してイベントを成功に導けたのも、今後につながる大きな成果でした。企画を通じて、みんなが復興に向けて心を一つにできましたから。

加藤:全ての広報活動がうまくいったんですね。

野中氏:震災後、防災情報についてのアンケートをしたんですが、その中で、無線が聞こえにくかったという課題が見つかりました。これを解決するために、複数メディア配信を効率化できるCMSの開発、防災無線や戸別受信機などの弱点をカバーするデバイスの整備を提案したところ、総務省のモデル事業として採用されました。経験したからこそ改善につながったと思います。現在、その事業を関係部署と協力しながら進めているところです。

「菊池にも被災者の人がいっぱいいるのに 他を助けている場合か」

加藤:菊池市は、被災地でありながら被災地支援の後方拠点でもあったと聞いています。

野中氏:そうなんです。東日本大震災でいうと、多くの機関が拠点をおき、沿岸部をバックアップした岩手県の遠野市みたいな役割が期待されました。実は、菊池市と遠野市は友好都市なんですよ。

 だから、遠野で活躍していた支援ネットワーク『まごころネットワーク』のスタッフのみなさんがすぐ来てくれて、菊池市に災害支援ネットワークという場所を立ち上げてもらえたんです。市は場所を提供し、全国からの支援ボランティアを受け入れて、熊本県内の必要なところに送り出していました。

 菊池市は、復興支援の拠点として他の被災地を支援する役割を担いました。広報として、その部分の発信は難しかったですね。「菊池にも被災者の人がいっぱいいるのに、他を助けている場合か」と言われかねませんから。でも、遠野市もそうでしたが、後方支援をすることで拠点として栄えて、そのまちにプラスになることもたくさんあると思うんです。

 広報で特集を組んだ時は、時系列に並べたりして、あまり目立たないようにしながらも、支援活動を網羅して伝えました。

菊池市災害支援ネットワーク

菊池市、阿蘇市、南阿蘇村、西原村、益城町等への支援活動を行った「菊池市災害支援ネットワーク」

他の自治体職員から「菊池はあまり被災していない」と思われた

加藤:それで何か言われることはありましたか?

野中氏:ちょっと不本意だったのは、他の被災地の自治体職員から「菊池はあまり被災していないんだね」という声があがったことですね。

 メディアでは「菊池はとても被害が大きかった」と言われていたんです。でも、支援活動もしているから、余裕があるとみなされて「本当はあまり被害ないじゃん」というイメージを持たれてしまったというのはありました。実際には、全壊した地区もいっぱいあったんですけどね。情報のバランスというか、何をどんなふうに伝えたらいいのかは、やっぱり手探りですね。

使命感から震災うつになっていく

加藤:野中さんご自身も被災者になるわけじゃないですか。その上で、職場に泊りがけで仕事をし続けたモチベーションは、どこにあったんですか?

野中氏:最初は使命感ですよね。とにかく記録に残さんといかんと。でもやっぱり途中でしんどくなりました。非日常と葛藤の連続で肉体的にも精神的にも憔悴しきってしまったんです。被災地を取材に来た記者さんと話しても、皆さん同じことおっしゃいますもんね。使命感から震災うつになっていくと。

自衛隊の活動を見て ボロボロ涙が出てきた

野中氏:ある時、全国から支援物資が集まってくる体育館にいたんですね。職員が仕分けしているところを取材に行って、「疲れたね」「いつまで続くんだろう」なんて話を皆でしていたんです。その時、「近くで自衛隊が給水活動をしている」という話を聞いたので、記録するために向かいました。

 行ってみると、学校が休みになった子どもたちが時間を持て余して、自衛隊の皆さんとサッカーをしながら遊んでいたんですよ。でも、子どもたちも実際は相当傷ついているわけです。そこに次々と給水の車がやって来るんですね。

 そうすると、子どもが給水活動を手伝いたがるんです。自衛隊の人たちは嫌な顔一つせず、やり方を子どもに教えてあげるんですね。そして、水を貰いに来た人たちは「いつもありがとうございます」ってメチャクチャ感謝して、お礼を言って帰って行く。子どもたちもすごく嬉しそうでした。それを見ていて、「被災地に寄り添うって、こういうことなのかな」と。

 恥ずかしい話ですけど、その時、感動してボロボロ涙がこぼれてきました。それで、気持ちも立ち直って、「みんなに知ってもらわないといけないことはたくさんある」と強く思いました。

自衛隊 菊池市支援

ただただ 子どもたちに寄り添う自衛隊の姿が素晴らしかった

野中氏:自衛隊の皆さんの活動を、広報誌の表紙にしたこともあるんですね。その時に、とある新聞社から「なんでこれを表紙にしたんですか?」と聞かれました。「それはどういう意図ですか?」って聞き返したら、「自衛隊の存在に対する考え方とか、色々あるじゃないですか・・・」と言われたんです。

 特定のイデオロギーみたいなことは全然関係なくて、「ただ、被災地に寄り添う自衛隊員の姿が素晴らしかった。被害の大きさを印象付ける悲劇的な写真ではなく、前向きに復興に向かうような写真で現状を伝えたい。そう思った結果がこれです」と話しました。震災という状況でも、そういった見方が存在するのかと思ったときもありました。

加藤:思ってもない視点で見られていたわけですね。

野中氏:そうですね。「自衛隊に批判的なやつらよ、この活動見てもそう思うのか」ってコメントも寄せられて、そういう議論をこの場でする人もいるんだなと思いました。

広報菊池 自衛官と子ども

※本インタビューは全6話です

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