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西須紀昭1

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【元栃木県庁 西須紀昭氏:第1話】奔走した震災対応

【西須紀昭氏(さいすとしあき) 経歴】
1955年生まれ。新卒で栃木県庁に入庁し、理事を勤めたのちに定年退職。現在は宇都宮大学の特任教授を務める。県庁時代には財政課で10年を過ごす傍ら、栃木県の特産品を東京でPRするなど幅広く活躍。

-『レジェント』と呼ばれ、県庁内外問わず多くの方に愛された西須氏。どういう環境にあっても常に人を愛し、愛された方だ。栃木県庁の理事を務めたのちに定年退職し、現在は宇都宮大学の特任教授を務める。栃木県庁時代、東日本大震災によって激減した日光市への対応や、東京での観光PRなどの仕事、そして、これからの都道府県庁の在り方についてお話いただいた。

「とちぎのいいもの販売推進本部」で働くきっかけ

加藤:西須さんは東京に出ていき、栃木県の特産品の売り込みを行われていました。これはどういう経緯で関わることになったんでしょうか。
西須氏:6年前に栃木県の副知事を辞めた素晴らしい人がいました。国家公務員だったところから、出向で部長として栃木県に来ていたんですが、役職的な上昇志向は全くなく、カッコ悪かったとしても、県庁の、そして、地域の裏方として汗をかくということを本気でやっていたんです。
 そういうことをやっていて知事はじめ庁内外の信頼も厚く、本省に帰らないまま、副知事になったわけなんです。私より2つ下のその方は、副知事を2期8年やったら「辞めさせてください」と言って、副知事を辞めちゃうんです。
 普通、退職となると外郭団体とかそういったところに行くのですが、知事が県庁内部に置いておきたくて、まあ時代背景もあったんですが、「とちぎのいいもの販売推進本部」っていう新しい前線部隊を作って、そこの本部長に据えたんですよ。
 「その直属の部下として行く人間は、お前しかいない」と言われて、私がそこに行かせてもらいました。私が県庁を卒業するまでの5年間ですね。その上司で本部長だった人が3年経った時に辞めると言って、私は最後の2年間、本部長にさせていただいた。
加藤:西須さんが指名されて行くということは、何かPR関連の仕事などを、それまでになされていたのでしょうか。
西須氏:東京に行くまでの2年間は、観光交流課長でした。県内の観光PRですよ。もちろんそれだけじゃなくて、観光地自身を活性化してもらうきっかけ作りかとかですね。
加藤:具体的にはどういうお仕事をされていたのですか。
西須氏:形式的にいうと、仕事として販促PRイベントをして、PR冊子作りとかそういった部分が中心です。みんなが作った商品をただ並べるだけ。もちろん、それも重要なんだけど、それだと自分自身が楽しくならない。だから、自分が好き勝手にアイデアを出すわけ。
 大元に立ち返っていうと、「観光地が元気で楽しい」「食品が元気で楽しい」となるために。それは結局の話「自分自身が観光地に行って楽しい」「自分が食品を見て楽しい」っていうそういうこと。これは自分のためでもある。自分が栃木のものを買って、友達に自慢できちゃう。

奔走した震災対応

加藤:その2年間の中で大変だったとか、苦しかったというエピソードはありますか。
西須氏:2011年の4月に東京で、「とちぎのいいもの販売推進本部」という組織が立ち上がりました。そして、私はその直前の3月まで観光交流課長をやっていました。まさに『3.11』を観光交流課長として経験したんです。
 その時、放射線の話があって、日光東照宮に誰も来なくなったんです。「本当に何とかしてくれよ」と、旅館業界が大騒ぎをしていて、その中で被災者受け入れを仕切りました。正直、旅館業界全体としては一枚岩ではなかったんだけども、「背に腹は代えられん、全然客が来ないんだから」と。
日光東照宮三神庫
 それで、旅館組合なんかと一緒に動いて、被災者を受け入れてもらう代わりに、補助金を出すなんて対応もさせていただきました。もちろん、その仕組み以前から那須町とか、先駆的なところは個別の地域として、動いたところもあるんですけどね。
加藤:東京には予定通り行けたんでしょうか。
西須氏:はい。私の異動は決まっていたので、4月1日に東京に来たわけなんです。でも、東京に来てからもその関係の仕事が続きました。実は修学旅行の問題ってのが出てくるんですよ。
 修学旅行っていうのは、大体秋が多いんですけど、首都圏の小学校では「日光・鬼怒川界隈に行かせられない」という保護者があちこち出てきたらしいんです。それを日光市役所の対応だけでは大変だということで、東京の事務所を拠点に市町村の教育委員会を回りました。神奈川県内の市は全部回ったし、あと東京都下や千葉も。
加藤:「問題ない」と説得し、日光に泊まっていただくようにお話をしにいったのですね。
西須氏:はい。すごく感激したんですが、ある市の教育委員会の担当する先生が「私たちは、そこにいくつもりです」と言ってくれたんです。「保護者の方々がいろいろ言っているんで、駄目になっちゃう学校が出るかもしれないけど、私たちは絶対に行きます」と。「何とか保護者を説得して、行くようにするんだ」と言うんです。
 それはなぜかって聞いたら、「日光は、50年60年と修学旅行を受け入れ続けてくれている。新しいところに修学旅行先見つけても、安全が保証されない。この60年間、受け入れ旅館だけじゃなくて、地域挙げて修学旅行を大切に歓迎してくれていて、何かあったらすぐにどこでも対応してあげられる体制を作ってくれている」と。これは感動しますよね。
 あとね、日光江戸村と東武ワールドスクエアの放射能の数値が高かったんですが、先生方から言われたんですよ、「数値下げてください」(笑)。そんな簡単にね、掃き掃除で下がるなら、これはなんちゅうことないんだけど、「この先生方も理不尽なことを言うもんだな」と思ったんだ(笑)。
江戸ワンダーランド
西須氏:だけど、そのあとに言われたことが、「特に江戸村はすごく子供たちが楽しみにしている」と。既に、6年生から5年生に「江戸村は楽しかった。楽しかった」って伝わっていたと。だから、「それをなんとか叶えさせてあげたいんだ」と言うんです。
 これまた大感激で、何とかできないかと本気で思っちゃいました。残念ながら、除染しなければいけない面積が広かったから、そこに踏み出せるだけの資金力がなかったということで、当時は叶えさせることはできなかったんですけどね。
加藤:立ち上げで東京に行ったのに、そこに付きっきりになったんですね。
西須氏:そう。でも、そういういろんな人の心意気というか、そういうものが見えて嬉しかったし、その時はとても充実してた。そりゃあ俺も大変だったし、ものすごく大変な目にあった人たちがいっぱいいる中で、嬉しいなんて軽く言っちゃいけないかもしれないけど。
加藤:それをどのくらいの期間行っていたのでしょうか。
西須氏:半年くらいです。

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※本インタビューは全7話です。facebookとTwitterで更新情報を受け取れます。

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