和と華と蘭が入り混じった「わからん」と呼ばれる長崎。国際色豊かな町である。
江戸初期までは、朱印船貿易の港として栄え、ポルトガル、オランダ、イギリス、中国など、世界の国々との交易が盛んであった。「鎖国」が宣言された1639(寛永16)年以降も、長崎だけはオランダ(蘭)と中国(華)との交易が許された。もともとの和の文化に華と蘭の文化が混ざり合って、独自の文化が育まれてきた。この異国情緒あふれる雰囲気は、そのまま今に引き継がれている。
そんな長崎の町を久々に散策させていただいた。来年1月下旬のランタンフェスティバルに併せて、全国商工会議所観光振興大会が開催されるので、その協議も兼ねた視察であった。
まち歩きの出発は思案橋近くの丸山公園。ガイドは「長崎さるく」の友人、田中潤介さんである。公園近くにある花月は、1642(寛永19)年、市中に散在していた遊郭を1カ所に集めたのが始まりとか。外国人を相手とする唯一の遊郭で、京都島原、江戸吉原と並ぶ「三大花街」として賑っていた。
この花月を長崎湾に向かって勅使坂を登ると、梅が枝焼餅の和菓子屋や大隈重信揺籃の地などがある大徳寺に抜ける。この丘から、出島が遠望できる。
丘から坂を下ると旧唐人屋敷街に出る。鎖国政策が行われるまで中国人は市内に自由に住んでいたが、密貿易とキリスト教浸透を嫌う幕府は、1689(元禄2)年に唐人屋敷街を建設し、中国人を収容・隔離し出入りを管理した。現在は、土神堂・天后堂・観音堂と福建会館の4堂のみが残されている。エリア一帯には、当時の道路や石垣、空掘などの歴史的遺構が多く残されている。これら中国の文化や風習は、長崎くんちや「卓袱料理」「ランタンフェスティバル」など、時代を越えて今に息づいている。
さらに進むとオランダ坂に差し掛かる旧居留地の一画、一気に「蘭」の風情になる。この日は、東山手の活水女子大学の脇を抜けて、東山手13番館などを見ながら、大浦海岸通りに面した旧英国領事館に出た。現在修復工事中だが、誠に運よく、工事現場の視察にも立ち会わせていただいた。
ここまで来ると出島はすぐ近くである。出島は明治以降、周辺の埋め立てが進み、かつての海に浮かぶ扇形の原形を失ったが、いま長期の構想で、これらの完全復元を目指して工事が進んでいる。近くには、軍艦島クルーズの拠点や、軍艦島デジタルミュージアムなどもあり、長時間楽しめる。
訪ねた6月1日は、10月に行われる長崎くんちの「小屋入り」「打込み」の日にあたっていた。「小屋入り」とは、踊町の世話役や出演者が、諏訪・八坂の両神社神前で清祓を受け、大役の無事達成を祈願する行事だが、まちなかは、既に賑やかな祭りの雰囲気に包まれていた。
(観光未来プランナー 丁野 朗)