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「関門」を交流の門に(下関市・北九州市)「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(213)」

旧英国領事館(下関市)

[記事提供=旬刊旅行新聞]

「関門」とは、文字通り関所のことである。突破しなければいけない難所のことを言う。その「関門」の言葉で私たちが真っ先に思い浮かべるのは、下関と北九州門司の間の関門海峡であろう。

関門海峡は、1942(昭和17)年に世界初となる海底トンネルが開通。それまで「関門」として立ち塞がっていた海峡が、陸路によってつながった。その後、車道・人道トンネルの開通、さらに関門橋の架橋で、関門海峡は「海峡七路」とも呼ばれる多様な交通網の完成により、交通の一大結節点となった。

もともと関門海峡は、その地政学的位置から、交通の要衝となっていた。官道や主要街道は、関門の地で結びつき、古来より多くの人や物資の交流が行われてきた。瀬戸内海と日本海との結節点でもあり、陸路と海路の十字路が形成されていたことから、幕末には外交や通商を迫る西洋諸国の黒船も通過するようになる。その重要性をいち早く察知していた長州藩の志士は、海峡を封鎖し攘夷を実行したことから下関戦争が起こり、そのことが日本を開国へと向かわせる、歴史の大きなターニングポイントにもなった。

下関戦争を経て、長州藩と欧米列強4国(英・仏・蘭・米)は、1864年に講和条約を締結、外国船が関門海峡を自由に通行できることとなった。事実上、下関(馬関)港の開港である。

下関港は、もともと江戸時代から北前船の寄港地として栄え、また対岸の門司港は、背後の筑豊炭田と若松という石炭中継地を抱えていたため、その後の海外との交流の増大により、ともに特別輸出港や大陸との定期航路の寄港地に指定され、国際港湾都市として一躍注目を集めることとなる。そのきっかけは1875(明治8)年の横浜・神戸―上海間定期航路の就航であり、さらには朝鮮との貿易港指定を契機に、創業間もない大阪商船株式会社や日本郵船株式会社が進出した。

門司港駅〈旧門司駅〉(北九州市)

さらに1889(明治22)年には、九州鉄道の開通にともなって門司駅(現門司港駅)が設置、陸上と海上運輸の集散地としてにぎわうようになる。

このような関門をめぐる歴史物語は、2017年に「関門“ノスタルジック”海峡~時の停車場、近代化の記憶~」として日本遺産に認定された。今年10月29日から30日、この関門(下関市・北九州市)で日本遺産フェスティバルが開かれる。

明治後期から大正にかけて、関門海峡沿いには日本銀行をはじめ、三菱や三井などの商社、鈴木商店による食品工場群などの拠点が続々と開設され、重厚で最先端の意匠をもった近代建築が林立する街並みが形成されてきた。伊藤博文が下関春帆楼でフグ食を解禁して以来、フグ刺しや鍋などフグ(ふく)料理も名物となった。

まさにノスタルチックな海峡都市である。フェスティバルにも足を運んでいただきたい。

(日本観光振興協会総合研究所顧問 丁野 朗)

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