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1602年創業の地元酒造の右田本店は中世の酒を再現

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「中世」がそのまま残るまち(島根県益田市)「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(192)」

1602年創業の地元酒造の右田本店は中世の酒を再現

[記事提供=旬刊旅行新聞]

 山や川など自然地形に沿った町割りは、現在の都市と比べると誠に不思議である。角を2つ曲がると元の地点に、角を3つ曲がるとまるで違う地点に行ってしまう。そんな中世の不思議な町割りが残る島根県益田市。その秘密とは何なのか。
 益田の地名のもとになった益田氏の本姓は藤原。その歴史は、初代国兼が石見国府として赴任した1114(永久2)年に遡る。南北朝の動乱期、11代兼見は益田平野の支配権を確立し、居城・七尾城を構え、東西に土塁、周囲を堀で囲む大規模な館(三宅御土居)を築き、中世益田の城下町が形成された。また、戦国戦乱のさなか、長門国見島(現山口県萩市)や博多湾沿いの海洋貿易の拠点を築き、国内はもとより朝鮮、中国、ベトナムなどとの国際交易を行う海洋領主としても成長していった。
 しかし、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いで毛利氏が敗れると、益田氏も益田から長門国須佐(現山口県萩市)に国替えとなり、三宅御土居や七尾城は廃絶。益田は津和野藩と浜田藩の領有となり、近世城下町を再建することなく中世の町並みを残し、そのまま終焉を迎えた。
 多くの都市では、近世城下町の建設が中世の町割りを上書きし、その面影が消えるなか、益田は中世がそのまま残った稀有なまちとなったのである。その益田が2019年の日本遺産(「中世日本の傑作益田を味わう」)に認定され、昨年末、日本遺産セミナーにお招きいただいた。
 益田では日本遺産認定に先立ち、既に「歴史文化基本構想」及び「文化財保存活用地域計画」の策定を終え、6つのゾーン12のストーリーに沿ったまちづくりが進んでいる。今回の日本遺産は、基本構想12ストーリーの一部、「益田氏と雪舟がつくり上げた中世のまち益田」「日本海に漕ぎ出した益田の人々」が骨格となっている。益田は雪舟終焉の地とされ、中世寺院万福寺と崇観寺(医光寺)には見事な雪舟庭園がある。また日本海に注ぐ高津川・益田川沿いには、砂州から発見された中世湊・中須東原遺跡の荷上場跡なども残る。ここは中世博多湊や青森県五所川原の十三湊などと同じ構造をもつ中世湊跡である。

益田氏文書をもとに再現した中世食

益田氏文書をもとに再現した中世食

 益田の地域活性化への取り組みは多岐にわたるが、とりわけ中世の食の再現が面白い。益田家文書に記された戦国時代の多彩な食材のリストからこれらを丹念に再現している。1602年創業の地元酒造の右田本店は、中世の酒も再現した。雪舟の庭で体験する中世の食と酒は、誠に魅力的である。
 「中世」に拘る益田の取り組みは誠に面白い。しかし、来訪者にも理解しやすいまち並みや中世湊の可視化、広大なエリアの2次交通、中世都市の語り部の養成など、課題は少なくない。ストーリーは分かりやすくかつ体感できることが必須である。益田の今後の取り組みに注目したい。
(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)

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