100メートル断崖絶壁の石切場(笠岡市北木島)
[記事提供=旬刊旅行新聞]
高さ100メートルの石の断崖絶壁。良質の石を求め下へ下へと掘り進んでいくうちに、天空にそびえるような絶壁となった。岡山県笠岡市の沖合、北木島にある石切場である=写真上。
瀬戸内海の笠岡諸島、小豆島、塩飽(しわく)諸島で構成される備讃諸島は、400年にわたって日本の代表的な名建築を支えてきた「石の島」である。小豆島は、古くは近世城郭の技術的頂点、大坂城の石垣を供給した。北木島は、日本銀行本店、横浜正金銀行、大阪市中央公会堂、三越日本橋本店など、数々の名建築を支え続けてきた。
100トンを超える巨石をどうやって運んだのか。その謎は、この海を制する海運にあった。この地域の塩飽水軍による優れた操船技術と海運力がなければ、巨石を運ぶことは不可能である。丸亀市の沖合、本島はかつて塩飽水軍の本拠地であり、江戸時代には奉行所が置かれ、塩飽廻船の根拠地となった。幕末の有名な咸臨丸(かんりんまる)の乗組員の多数が、この塩飽廻船の船乗りたちであったという。
備讃諸島の島々は、どこも街路が屈曲し、十字路のない複雑な町割りが特徴である。塩飽の中核となる本島・笠島地区の集落は狭い道路が複雑に交差し、見通しがきかない意外性が面白い。マッチョ通り(町通り)と呼ばれる中心道路に沿った町家形式の家屋の集落が、はじめて訪れる人々を魅了する。
また、笠岡諸島の真鍋島は中世真鍋水軍の本拠地であり、山城を核とした防衛的な町割り集落が魅力的である。小豆島土庄集落も、「迷路のまち」と呼ばれ、地図がなければ方向感覚を失う。いずれも個性豊かな島の景観と町割りが大きな特色的である。
どの島も、石切、加工、商い、出荷、海運という一連の産業を担ってきた石材産業が主産業であった。その富が、島の固有文化と娯楽を生んだのである。北木島には、石工や島民娯楽のために、学校講堂のような映画館が昭和期まであり、コミュニティーの核として再生に取り組んでいる。石工たちの労働歌である「石切唄」=写真下=や、ハレの日に石工たちにふるまわれた「石切り寿司」などが、今も島に根付いている。
幹事の小林嘉文笠岡市長ら2市2町の首長の結束力は強く、各島を結ぶチャータークルーズなど、島文化の魅力をつなぐ、テーマ旅の商品づくりなどに取組んでいる。物語にある感動・共感をどう生かすか、島民など市民の誇りや自覚をどう促すか、一過性のイベントではなく、島の再生につなげる持続的事業をどう生み出すか。課題は少なくないが、新たな取り組みに期待したい。
(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)
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