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鯖江の仕事図鑑2

HOLG編集室

鯖江に惚れ込み市長選挙に出馬表明、現職最年少市長への挑戦

今年の10月に行われる鯖江市長選挙。60歳の元福井県議と、52歳の鯖江市議が既に出馬を表明したが、加えて異彩を放つ人物も名乗りをあげている。
 1990年生まれ、30歳の起業家山岸充(やまぎしみつる)さんは、東京都大田区に生まれた。都立高校を卒業し、京都大学を経て株式会社LIFULLに就職。その後、一般社団法人福井県眼鏡協会に転職し、株式会社わどうを設立した。

父から課せられた責任

 山岸さんの人生をもう少し紐解いていきたい。祖父は東京でメガネ屋を経営し、メガネフレーム国内生産シェア9割超をほこる福井・鯖江産の製品も取り扱っていた。
 生活環境が一変したのは小学年2年生の時だった。父親が癌で他界し、母と妹と母子家庭の中で生活していくことを余儀なくされた。父が亡くなる前に残した言葉は「あとは全部、家族を含めよろしく頼む」。自身を象徴する言葉は『責任感』だと山岸さんは評するが、その責任感を醸成したのが父の残した言葉だった。

 山岸さんはその後都立高校を卒業し、京都大学理学部に入学した。一人暮らしがしたかったという理由と、ノーベル物理学賞がとりたかったという理由から京都大学を目指した。ところが、サークルを通じて地域活動に携わる面白さにのめり込み、自身の興味が化学や物理から、人間や社会へと変わる。その成り立ちを学ぶために同大学の総合人間学部に異例の転学部、専攻したのは公共政策論だった。

正しい責任感と誤った責任感

 就職活動で最も強く希望していたのは、外務省だった。人間は感情的な生き物で、相手から何を言われるかで国の方針が大きく変わる。自分のコミュニケーションによって、双方の国家に変化が起きるところに強く惹かれた。国家試験を通り、最終面接まで残ったが、面接官にはこう言われた、「君は自分をつくっているだけ」「僕らは裸の山岸くんがみたい」。

 幼少期に背負った責任感は、若者にとって向き合い方が難しい。「人に隙をみせちゃいけない」「人に心配をかけてはいけない」「弱音を吐いちゃいけない」「負けちゃいけない」「完璧じゃなきゃいけない」、いつしかそんな考えを自然と身にまとっていたことに気づかされた。自分の責任感は、父が求めていたものとは違った。強いショックを受けながらも自身の弱さを認め、山岸さんは次第に周囲へ胸襟を開くようになった。

 外務省への道は一度閉ざされたが、就職活動はまだ終わっていない。既に多くの民間企業は採用期間を過ぎていたが、いくつかの企業から内定を獲得し、不動産広告のウェブサイトを運営する株式会社LIFULLに就職した。他社からより良い条件で内定をもらったにもかかわらず、最終的に同社を選んだ理由は人だった。山岸さんは人が好きなのだ。

 一部上場企業でありながら、ベンチャー気質溢れる環境で約2年間学び、その後は祖父の眼鏡屋の経営に挑戦するつもりだった。京都大学卒のエリートにもかかわらず、営業として泥臭いことも経験、仕事を積み重ねていく中で、論理的な正しさが常に人の心を動かすわけではないことも知った。若さゆえの生意気な考えとも決別することができたという。

 働きぶりが上司から認められてかけられた言葉があった、「お前の夢はでかいから、お前がやってくれ」。わずか入社3か月で、同社の歴代入社最短のリーダー職を担った。同期と年上2名の計3名を率いて、半年間の営業数字を苦しみながらも達成した。
 当時の実績を支えたのは責任感だという。リーダーを任されることによって力が増幅され、ありとあらゆる手段を使って数字を達成した。この頃は、父に期待された責任感を正しく発揮していたのだろう。成果一辺倒ではなく、メンバーが幸せに働ける環境創りにも邁進した。

LIFULL社時代の同僚の方と

LIFULL社時代の同僚の方と

鯖江というまちにピンと来た

 順調な社会人生活を送る中、有休を取得してメガネのまち鯖江についに訪れる。理屈抜きに直感が働き、自分がここに住むと決めたという。半年後に移住したが、恐れがなかったわけではない。後になって言語化してみると、役所の職員やメガネ屋の社長が困っている姿を目の当たりにしたこと、そして、相手の顔が見える地域の現場にその身を置きたいと感じたことが大きかったと振り返る。

 約2年務めたLIFULLを退職し、その後に転職した先は一般社団法人福井県眼鏡協会だった。メガネ産地の戦略やビジョンを描いたり、前職時代に得たITの知識を活かして貢献した。当時の職場にいたお陰で、起業の際や現在の活動の支援者と数多く出会えたという。

人口減少に転じた鯖江市を衰退させてはならない

 なぜ選挙に出馬するのか尋ねると、「苦しい状況の企業のために力になりたい」と山岸さん応じる。新型コロナウイルスは鯖江にも猛威を振るう。眼鏡産業の輸出高が半分近くになり、飲食店も大打撃を受けた。山岸さんは一早く『テイクアウトさばえ』という、テイクアウトで飲食店を支援するウェブサイトを創り地域に貢献しながらも、もっとできることがないかと思案に暮れた。このままだと、大好きな鯖江というまちが衰退してしまう、と危機感が募った。

 現市長が初当選した16年前の選挙では合併が争点だった。鯖江というまちは一歩間違えればなくなる運命にあった。そんな鯖江市を見て、中小企業が集積し、一人ひとりが挑戦して経済を動かす鯖江独自の風土を残していきたいと、山岸さんは言う。鯖江市は今年ついに人口が減少に転じた。だからこそ、今が重要な分岐点だという。

鯖江市・福井大学と山岸さんが経営する会社の共同事業の記者発表

鯖江市・福井大学と山岸さんが経営する会社の共同事業の記者発表

泥臭いことを徹底するために、効率的な運営を徹底する

 山岸さんは、泥臭いことを徹底的にやるために、効率的な運営を徹底している。なるべく多くの市民と直接会おうとする一方で、後援するコアメンバーとのコミュニケーションはチャットやオンライン会議を駆使している。

 既に活動の反省点もある。当初、政治の道では極力敵をつくる政策は打ち出さないようにという考えが先行しすぎて、最初の市民との対話会では歯切れの悪い発言に終始してしまった。仲間からは「無難なことを無難にやる政治家になりたいのか?」と言われ、自分ならではの良さが消えかけていたことに気づいた。
 コロナで世界が一変した今、自信を持ってビジョンを発信できる人が必要だと山岸さんは感じている。ダメなものはダメだと勇気を持って言わなければならないが、これは地縁がある人にはできない。若者で民間経営者である自分だからこそできる強みに気がついていた。

鯖江市を「自分らしく幸せに暮らせるまち」にしたい

 山岸さんが目指す鯖江の姿は「創造教育」「地域型経済」「歩幸空間」によって、自分らしく幸せに暮らせるまちだ。

「創造教育」とは、ビジネスの発展も含めて対応可能な想像力や思考力を伸ばす教育を行うこと。「地域型経済」とは、眼鏡・漆器・繊維・農林業や各商店舗を中心とした循環型の地域経済を創ること。「歩幸空間」では、子育て世帯と高齢者が安心して生活できる生活空間を生み出していくことが重要だという。

 昨今、全国では30代の市長が増えつつある。山岸さんの鯖江を衰退させてはならないという適切な責任感が、理想のまちに向かう原動力になればと願う。

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