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林琢己副市長2

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【横浜市 林琢己副市長 #2】上司は使うもの

どんな部署でも創造的な仕事はできる

加藤(インタビュアー):林さんはこれまで多くの部署を経験されていますが、特に印象に残っているお仕事はありますか。

林氏:いくつかありますが、担当者の頃だと総務局の「行政管理課」の経験が印象深いです。30年位前ですが。行政管理課はその名の通り、行政組織の管理をする、お堅い印象の仕事なんですね。
 当時は新しい市大医学部付属病院の開設を準備していて、その組織編制の審査を任されました。病院組織のセオリーを学びつつ看護師さんに現場の話を聞いていると、要求内容と現場が乖離していると思うようになりました。

加藤:どういう部分に乖離があったのでしょうか。

林氏:当時は医師中心の医療体制の考え方が強かったですが、コ・メディカルの役割が高まってきて、チーム医療に発展しつつある。そう考えて課長級の副看護部長職を、要求案より一名増やす審査をしました。審査する担当が、要求よりも増員するのは、当時の常識からあり得ないような判断をしたわけですが、上司も理解してくれて、課で一丸となって説明し、市長まで了解がもらえました。

加藤:市長が判断するというのは、よっぽど異例だったんですね。

林氏:ヒアリングを重ねた看護師さんには「まさか要求よりも増やしてくれるなんて」って驚かれました。現場の方から感謝されたのが嬉しかったのと、同時に役職者でなくとも情熱をもって提案すれば、実現できると思うきっかけにもなりました。お堅い管理部門で、創造的な仕事ができたのは一つの成功体験でしたね。応援してくれた上司もすばらしかったです。

上司は使うもの

加藤:他にも印象的なお仕事はありますか。

林氏:新任係長として赴任した金沢区役所での企画調整係の仕事です。平潟湾という内湾が、悪臭がするほど汚れていて、水質改善に取り組む仕事を任されました。当時は隣接する金沢八景駅周辺地区の区画整理事業の地元調整がうまくいかず、凍結状態になっており、下水道整備も止まり、海が排水で汚れていたんです。横浜を舞台にした推理小説があるのですが、冒頭に日本で一番汚いと紹介されるほどでした。

加藤:そんな書かれ方をされてしまうんですね。

林氏:当時の区長は厳しい方で、若い新任係長の私を見て不安に思ったのか「区役所は大学じゃない。使えなかったら半年でクビだぞ」と言われました。その後たくさんの宿題を区長から直接もらったのですが、水質改善はその一つです。区役所には当時土木事務所もなく、ハード整備の機能がないので、下水道局をすみやかに説得して、いち早く排水処理する必要がありました。ただし下水道局からすれば区画整理が進まないことがそもそもの原因という考え方になる。

加藤:役所がやると決めれば進む話だったのでしょうか。

林氏:私の見立てになりますが、区画整理を所管する都市計画局と、その開発を待つ下水道局ともに、海の汚れに対して自分事としての責任感が薄く、お見合い状態に陥っていた。そこで、当時の区長が土木職であったことをしっかり利用して、下水道局に調整というより、決断を促しに行きました。「区長から厳命を受けている。区長は将来そちらの局長になるかもしれないよ」みたいな話もしながらです(笑)。

加藤:区長を利用したんですね(笑)。

林氏:しばらくして区長に呼ばれて、ニコニコしながら「お前のせいで俺は怒りっぽい性格のように言われている。でも下水道局がやると連絡してきた。それでいいんだよ」と、そう言ってもらえました。その後排水の垂れ流しは止められ、さらに区長も動いてくれて市長に要望して、海底汚泥の浚渫工事を港湾局にしてもらうことになり、平潟湾の水質は大幅に改善されました。今では潮干狩りや釣りができるスポットになっています。

 それも私にとっては大きな体験で、「上司は使うもの」と教えてもらいました。

自分は事業側で生きていく

加藤:林さんは公務員として仕事をする中で、どんなキャリアを思い描いていましたか。

林氏:新任係長時の経験から、現場と向き合える事業にやりがいを感じるようになりました。管理部門よりもまちづくりなどの事業部門を歩みたいという思いがありました。現場を経験したら、また総務局に戻ることが順当という雰囲気でしたが、区役所から異動する時は、まちづくり部門に異動したいと区長に嘆願したんです。

加藤:では管理部門への異動希望は出さなかったのですね。

林氏:区長が人事部のヒアリングを受けた後に、私の方に来て、「林は死んでも総務局には戻りたくないと言っておいたから」とニコニコ顔で話をされました。それを聞いていた部長が「そこまで言ったら目を付けられてしまう」と心配してくれましたが、私も腹が据わりました。そのおかげで当時の都市計画局へ配属がきまりました。
 都市計画局では、みなとみらい線整備事業や首都機能移転事業などを担当させてもらい、大変やりがいがあったのですが、何と一年後に総務局人事部に異動になったのです。当時の局長から内示を受けた時は、「一年で異動だなんて都市計画局は冷たい」と食ってかかってしまいました。

加藤:本気で事業側が良かったのですね。

林氏:局長は、なんで怒っているのか分からず、面食らった感じで気の毒でした(笑)。しかし内示は覆せないので、そのまま人事企画課への配属になりました。
 人事部に行った途端、人事部内での会議で生意気な性分がでてしまって、「人事なんかブラックボックスでやっているだけじゃないか。改革すべきだ」と発言し、「何も知らないで何言っているんだ」という感じで、先輩係長と大論争になり、会議終了後も二人で激論を続けていました。しかし、これをきっかけにざっくばらんに意見交換できるようになりました。
 人事企画課では、様々な企業にヒアリングに行き、やりがいと成果報酬を公務の世界でどのようにマッチングさせるか、模索しました。その一年後、大喧嘩した係長が、人事企画課長として上司になり、MBO(目標によるマネジメント)や、CDP(キャリア形成プラン)を取り入れた制度改革を実行することができました。市役所全体の改革でしたので、結果的には大いにやりがいのある仕事をさせてもらいました。その後人事課へ異動しますが、再度希望した都市計画局にまた戻れることになりました。

(取材=加藤年紀 編集=小野寺)

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