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人生は一度きり ~横浜市長選挙の落選を笑顔で振り返る~

伊藤大貴TOP

<記=加藤年紀>

 冒頭に伊藤大貴氏<写真左>が笑顔とともに発した言葉、「(横浜市長選挙に)落選したての話を聞きたいと言われたから、このイベントを企画した」が本イベントの雰囲気を率直に物語っていた。終始、和やかで笑顔の絶えない中、伊藤氏の横浜市長選挙における貴重な体験が参加者に共有される場となった。

 これは8月30日に、横浜で開催された「伊藤ひろたかの『今年、横浜で一番熱かった夏』」と題されたイベントの序幕である。伊藤氏は2006年に約5年勤めた日経BP社を退職し、政治の門を叩く。2007年に29歳で横浜市議会議員に初当選した。
そして、この夏に10年勤めた議員を辞職し、横浜市長選に立候補。結果として今から丁度1ヶ月前の7月30日に落選となるが、その経験を共有するという趣旨のイベントを開催した。

 会場は伊藤氏が建築家、演劇作家、不動産専門家と一緒に創り上げた「The Cave」。伊藤氏が議員としてずっと訴えてきた、まちづくりやリノベーションを自ら実践したアーティスト支援拠点だ。関東大震災の復興ビルとして建てられ、横浜を物語る建築物「イセビル」の地下にある。まさに「実践」をテーマとした拠点でもあり、今回の市長選挙の総括をする上でふさわしい場所だと思い、この場を選んだという。

締切日に横浜市長選挙出馬が決まる

 伊藤氏が所属する民進党神奈川県連は、横浜市長選候補者の受付期限を6月6日の夜12時としていた。それまで何も知らされていなかった伊藤氏は、17時半から自らが所属する会派の打ち上げに参加していた。その最中の18時半頃から多数の記者から電話が入り始めた。この時に何かあったのでは、と伊藤氏は感じたという。

 7時半に飲み会が終わった後、民進党県連で大ベテランの幹事長から、「伊藤君、二人で飲みに行こう」と誘われて、ただ事ではないと感じた。伊藤氏はこの時点で大よその事情を察したという。

 その後、同党の国会議員から電話があった。「来なさい」と呼び出しがあり、近場のレストランで会う。その場で、「選挙に出て欲しい」と言われた。締め切り3時間前の話だ。

 政治家としての出処進退は最終的には自分なので、自ら出馬する決断をした。23時半に家に帰り、立候補のための書類を30分かけて書く。寝ている家族を起こして、「横浜市長選挙に出る」という重要な話をするのは無理だと思い、翌日の早朝に家族に話した。6月6日に市長選への出馬が決まったが、投票日は7月30日と差し迫っていた。

 締切日はその日中ではあったが、寝ずに連絡を待っていると言ってくれていた幹事長とも1時間程電話で話し、「明日の朝一にファックスを送ってくれればいい」と融通を利かせてもらった。

伊藤大貴

締切日のスケジュール

横浜のビジョンが感じられなかった

 選挙に出た最大の理由は、「これからの横浜をどうするのか」という長期的なビジョンがあまり感じられていなかったから。本来は、自分が出るということでは想定しておらず、どうにか選挙の候補者を擁立したいと考える側にいた。

 横浜市長選挙の候補者擁立には、国会議員の意思が少なからず関わるが、国会議員は地方議員が出ても勝てないと思っている。そう考えるとこのようなチャンスは滅多に廻っては来ないとも感じた。

「カジノやりません。伊藤です」「給食やります。伊藤です」

 戦って改めて感じたことは、横浜市の広さとその地域差。抱えている課題が中心部、南部、北部で全く違う。1ヶ月で戦うのは厳しかった。

伊藤大貴

出馬予定ではなかったため、出馬決定直前に海外視察

 本当はもっと訴えたいことが山ほどあったのだが、街頭ですべてを伝えることは難しい。名前を知られていないので、自分の名前と政策を象徴する事のみを伝えた。「カジノやりません。伊藤です」「中学校給食やります。伊藤です」。

 その中でトライしたのは、マスコミ、記者に理解してもらうこと。当初の記者会見予定を1週間ずらし、政策を1時間半かけて説明した。カジノと給食は全体の政策の中の表層に過ぎず、財政の視点、観光の視点、まちづくりの視点、教育の視点、福祉の視点などに細かく触れながら支持層の拡大を狙った。

落選した翌日に民間からオファーがあった

 一般的には、落選した議員は所属している政党の職員や、国会議員の秘書などを務め、政治の業界の中に身を置きながら次の選挙を待つ。

 一方、伊藤氏には落選した翌日にいくつかのオファーが来た。前の職場や、ネット系のメディア、民間のシンクタンクなどからである。ICT、教育の分野などエッジを立てて動いた10年間の議員活動によって、拾ってくれる神様がいたと振り返る。そして、政治関係からは声が掛からなかったと笑って話す。

 伊藤氏はこれからの新しい働き方を自分が体現したく、本業がありながらも、社会的に意義のあるサブの仕事を2つ3つしたいという。そう考える背景がある。

 僕らの世代(昭和52年生)は社会の仕組みが変わらざるを得ない状況にずっと直面していると思う。就職率も60%の時代だった。我々の両親が求めて来た幸福像や働き方と、僕らが人口減少社会を迎える中での幸福像や働き方というのは違うのではないかと思っている。決まった時間に電車に乗って、夜になると一斉に帰宅する。果たしてそれが正しいのか。自分が新しい働き方の一つの事例になれたらと思っている。

政治の世界は何で評価されているかわからない

 「今はメチャクチャ楽しい」、これも笑顔で話す。議員は公職なので無意識に自らに制限をかけている。それが解放されたという。もう一つ楽しいと感じる大きな理由は、やるべきことが明確になってきているということ。

 結局、政治の世界は何で評価されているかよくわからないところがあった。駅でよく見かけるとか、祭りでよく見かけるからという理由で評価される。自らが選挙で勝てていた大きな理由は駅でよく見られるからで、深い関心のある人だけが政策まで見てくれていたと感じている。

 伊藤氏が今、民間に戻ろうとしている中で、既に「いつまでに」「何を」アウトプットすればいいのか見えて来ている。それは、精神的にとても健全であり、気持ち的にもすごく楽しいという。

市長選挙に5000万円かかる

 4年後に自分が横浜市長選挙に出られる可能性はほとんどないと話す。理由は、まずお金がない。今回でも2000万円かかっている。次に自ら全て払うとしたら5000万円はかかる。

 今の民進党代表選(※イベント後の9月1日に前原誠司氏が選出)を見ていても、そもそも4年後に党が残っているのかという問題がある。仮に党が残っていたとして、今回、県連内部が割れて、主流派、非主流派が生まれてしまった。今回、非主流派に担がれて負けた私を、4年後に主流派の人が再び担ぐとは思えない。

 ただ、何が起こるかわからない。チャンスが転がってきたときに手が上げられる状況だけは作っておきたい、と続けた。

伊藤さんはちっとも偉そうにしていない

 参加者との質疑応答の中で、「どうして選挙中に楽しそうにしていたんですか?」と質問があった。「自分が考える横浜のビジョンをホームページに書いてメディアに説明した。お仕着せの政策を訴えているのではなく、自分が本当にやりたいことをやれたので楽しそうに見えたんだと思います」と伊藤氏は答えた。

 選挙戦で伊藤氏を支援し、当日のファシリテーターも務めた小田理恵子川崎市議にとっても、選挙活動の際、伊藤氏がいつも楽しそうな顔をしていたのが印象的だったという。また、イベントの終盤に小田氏は伊藤氏をこう評し、重ねて心情を吐露した。

 政治に直接的に関わりながら、高いバランス感覚を持ち、政策作りにも尽力していた。10年議員をやると、その環境から多くの人はどんどん偉そうになってしまう。しかし、伊藤さんはちっとも偉そうにしていない。そういう人が政治の世界から去ってしまうことが残念。

人生は一度きり 元々ただの人

 最後に今後の活動にについて、伊藤氏はこう締めくくった。

 人生は一度きり、自分がやりたいことにチャレンジし続けたいと思っている。議員じゃなくなったことは別に大したことじゃない。「選挙に落ちたらただの人」と言っても、元々「ただの人」だった。

 10年の政治活動の中で沢山の仲間もできた、これからまた社会にピンを打つような活動が出来たら面白いと思っている。国政にはイノベーションが起きないと思っているが、地方政治では出来ると思っている。ここは政党の枠を超えてピンを打ちたいと思っている。

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