[記事提供=旬刊旅行新聞]
長崎県佐世保市と言えば、まずは日本有数のテーマパーク・ハウステンボスと九十九島のイメージが強い。
事実、ハウステンボスはコロナ前には年間300万人の集客を誇り、佐世保観光客の過半を占めていた。また「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録(2018年)された黒島を含むパールシーリゾートは、根強い人気がある。近年は、水深の深い良好な湾を活用した大型クルーズ船の寄港も着実に増えている。
一方、佐世保の中心部分は、かつての海軍鎮守府が置かれた場所である。海岸線に近いエリアは、現在は米海軍佐世保基地と佐世保重工業(SSK)、その関連企業群が立地し、観光地という雰囲気は乏しかった。
しかし、2016年に佐世保市を含む横須賀市、呉市、舞鶴市の4市連携で申請した「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体験できるまち~」が日本遺産に認定され、日本遺産テーマの地域活性化計画による観光まちづくりがスタートした。しかも認定から9年を経過した今年7月、これまでの活動が認められ、文化庁の重点支援地域にも認定された。
8月初旬、4市の副市長らが集まる「副市長会議」に呼んでいただいた。4市は、日本遺産認定のはるか以前、1950年の「旧軍港市転換法(平和転換法)」以来、さまざまな行政分野において事業連携を進めており、担当者、副市長、市長のそれぞれが定期的な会議を重ねてきた。
遠く離れた地域の、いわゆるシリアル型日本遺産であるが、4市のガイドの定期的な交流、地元の高専や大学など理系研究者による学術交流、海軍・海自カレーや珈琲など4市共通の食材などの共同開発と流通、4港の軍港クルーズ会社の事業交流など、他の日本遺産ではなかなか真似のできない事業連携が進んでいる。
佐世保では近年、鎮守府時代以来の歴史的建物の活用が進んでいる。かつての佐世保鎮守府所属艦艇の武勲を称える凱旋記念館(1923年築)を市民文化ホールに改修するとともに、同じく大正時代に建設された針尾送信所などの改修・活用が進んでいる。「ニイタカヤマノボレ1208」で有名な針尾送信所は、100年以上前に建設された3本の送信塔である。川砂を丹念に磨いて建設された高さ130メートルに及ぶ塔は、未だに構造的にもびくともしていない。

現在、旧佐世保鎮守府建設時の最古級の煉瓦倉庫などが建つ立神倉庫群の改修も進められている。日本遺産はもとより、観光の新たなゲートウェイとして期待されている。近くには佐世保のもう一つのシンボルである佐世保重工業の250トン起重機や、全長400メートルにも及ぶ佐世保造船所のドック群もある。
兄弟都市ともいうべき4市は共通の歴史とともに、それぞれが個性的なまちづくりを進めてきた。次の展開に大いに期待したい。