インタビュー

【菊池市 野中英樹氏:第6話】「人の人生を良くしたい」という 崇高な意思を貫ける仕事

野中英樹6-1

本当の地方公務員を知ってもらった上で なりたい職業の上位にしたい

加藤:将来成し遂げたいことはどういうことでしょうか。

野中氏:大人も子どもも、みんなが住んでいることに誇りを持てるようなまちや地域にしていきたいですね。あとは、「癒し」といえば「菊池」と言われるくらい、『癒しの里 菊池』のブランドイメージを浸透させていきたいです。

 それと、ひそかな野望として、地方公務員の本当の魅力をわかってもらった上で、『なりたい職業』の上位にできれば(笑)。たまに『税金泥棒』なんて揶揄されますが、『思っているより楽じゃない泥棒』ですよ(笑)。

地方公務員へのイメージと現実の乖離

野中氏:菊池市は違いますが、中には人員不足で時間外労働が当たり前という自治体もあるようです。どことは言えませんけど(笑)。もちろん、そうした実態は改善していかねばなりませんが、毎日定時に帰ることができるラクな仕事というイメージとは全く違います。行政サービスが多様化するなか、求められる素養や能力も高くなっています。大学や公務員の専門学校などでは、専門知識だけを伝えるんじゃなくて、その実態や醍醐味まで幅広く教えてほしいですね。

加藤:確かに、現実は知っておいたほうがいいかもしれません。平時も大変でしょうし、ましてや、震災の時なんて全く休みもないし、昼夜も関係ありませんよね。一方で、地方公務員の魅力も理解してもらえるといいですね。

野中氏:地域を良くする仕事が地方公務員の本分だと思ってほしいですね。とにかく、今の一般的な地方公務員のイメージは払拭したいです。

人の幸せのためにやることが 自分の幸せにもつながっている

加藤:最後の質問です。地方自治体でお仕事されている醍醐味を教えていただいてもいいですか。

野中氏:まちづくりに直接携われるところ。それに尽きると思いますね。

加藤:本当に良いお仕事ですよね。

野中氏:「広報は究極のローカリストになるべし」と言いましたが、これは職員みんなに共通することだと思います。地域に根差し、住民と一緒に課題を発見して解決していく。それができるのが基礎自治体職員の特権であり、醍醐味です。それを煩わしいとか、義務的に感じてしまうと面白さを感じられなくなってしまう。

 ぶっちゃけ、煩わしい時がないと言ったらウソになります(笑)。でも、公務員として立ち位置をうまくとるのも必要な能力なんです。

 怒られることもありますし、衝突することもあります。ですけど、そんな声にも耳を傾けて、関係を築いていく。感謝されたり、頼ってもらえたりすると素直にうれしいですしね。人の幸せのために働いているんですが、結果的に自分の幸せにつながっていると思います。

菊池市

まちづくり団体の方と積極的に関わる

「人の人生を良くしたい」という 崇高な意思を貫ける仕事

野中氏:特に広報は、まちのために活動する人とのつながりが多い分、それを実感できる機会の多い仕事です。やればやるだけレスポンスがある。個人の取り組みを役所のもつメディアに掲載すれば、賛同者が増えたり、認知度が高まったりして、ダイレクトに応援しやすいんです。

 以前に、竹とんぼづくりの日本一の人を紹介したら、メディアに取り上げられて活躍の場を広げられました。そんな人が菊池にいることを多くの人に知ってもらえたことで、「うちの学校にも竹とんぼを教えに来てください」と声がかかるようになったそうです。

 今では、その人はワークショップの先生です。「竹とんぼを色んな人に作ってもらえるようになってとても嬉しい」と喜んでもらえた。人生を変えるというと大げさですけど、光を当てて地域に活躍できる場所ができることで、新しい自分に出会う可能性を提供できることもあるんです。

 広報の仕事は休日出勤も多く、毎月締め切りに追われて肉体的にも精神的にも大変な仕事です。でも、「自分の仕事が顔の見える誰かの役に立っている」ことを実感できる仕事ができるって、ほんとに恵まれているなと思います。

 かっこつけて言わせてもらえば「他人(ひと)の人生を良くしたい」という、崇高な意思を貫くことができる仕事だと思いますね。

加藤:素晴らしいですね。とても素敵な話をありがとうございました。

野中氏:とんでもありません。こちらこそありがとうございました。

編集後記

 改めて『ドキュメントムービー』を見ている。野中氏は本当に素敵なものを作られたのだと思う。

 この動画には自衛隊の方も映っているのだが、第2話で話題に上ったイデオロギーについて少し触れてみたい。野中氏が広報誌の表紙に自衛隊と子どもが寄り添う姿を掲載したところ、あるメディアが何かイデオロギーを背景と捉えた詮索をして来たそうだ。これにはものすごく違和感がある。

 私は最近の偏った報道に辟易することがある。その理由は、これによってフラットな事実ベースの情報を取得しづらいという点、そして、個人への人格批判を聞かされるという点だ。

 偏った批判、特に人格批判の含まれた情報を私はあまり信用しない。この歳になるとあまりないが、例えば、自分の友人が誰かの悪口を話していたとしても、その意見はあくまでも片側の言い分だと思って妄信することはない。なぜなら、悪口を私に言ってくる人の目的は、正しいファクトを私に伝えたいわけではないからだ。悪口を言う人は多くの場合、対象者の信用の失墜か、自分自身への同情か、単なる憂さ晴らしといった何かになる。

 昨今の報道は個人の信用の失墜を狙ったものが非常に多いのではないかと感じる。もちろんそれに喜んで賛同する国民がいるからこそ、そういう状態を生み出しているのだとは思うのだが、物事を深く考える人ほど、大手メディアから遠ざかるきっかけになってしまわないかとさえ思う。

 以前に「批判よりも称賛をすべき」という旨のことをコラムに書いたことがある。その理由の一つには、求められるプロセスにも差があるからということもある。どういうことかというと、何かを批判するためには本来、批判するに値する事実や根拠が強く求められる。特にとある組織や誰かの行動に対してだけではなく、個人の人格を毀損しかねない批判をするということに対して、もう少し世の中は慎重にならなければいけないと思う。

 例えば、最近話題になった所沢市立山口小学校の教師が「窓から飛び降りなさい」と言ったとされる事件。これは後から、「そういうことは言っていない」という証言が出て来ている上に、先生に処分をしないでほしいという署名も集まっているようだ。当然、私はその場に居合わせたわけではないので、何が真実かはわからない。ただ、こういった時にメディアは慎重に裏取りをしなければいけないし、当事者ではない周りの人間が安易に批判に加わることは、百害あって一利なしではないだろうかとも思う。大衆心理という言葉があるが、追随する人の責任も実はかなり重いと思っている。

 以前に、ある大手の新聞社の方から「ややセンシティブな主張をしたい。しかるべき根拠を集めたいと思っているので協力してほしい」と、依頼を受けたことがある。つまり、理論武装をしたいということだ。批判をするにもマナーがあると思う。こういった方が報道に深く携わってほしいと私は強く願う。

 イデオロギーというと大げさかもしれないが、人は特定の空間に居続けると客観性を失いやすい。自治体職員のネットワークはどうしても、庁内や同じ自治体職員に限られることが多いという。そういう意味では、野中氏のようにその地域の民間人と触れあうことは、とても大きな意味を持つ。

 行政サービスという言葉があるが、その行政サービスの提供先は地域住民だ。そうなのだとすれば、役所に来る特定の住民以外の人とも接点を持つことで、客観的で偏りのない質の高いサービスを提供できるようになるのかもしれない。

 そして、野中氏が寝る間を惜しんで、様々な仕事に取り組めた背景の一つには、サービスを提供すべき相手一人ひとりの顔が見えていたからではないだろうか。

記=加藤年紀

※本インタビューは全6話です

他のインタビュー記事を読む

ネイティブアド



頁トップへ