インタビュー

【元瀬戸内市 桑原真琴氏:第4話】『サラリーマン』→『副市長』→『社長』

桑原真琴 本番4

バブル期に三菱総研に入社

加藤:民間時代のお仕事についてお聞きしたいんですが、三菱総研時代は、主にどういう領域のお仕事をされていましたか?

桑原氏:僕が入社したのは91年で、バブルが終わりかかっていた頃でした。だから90年がバブル最盛だとすると、90年に面接を受けている人数が一番多かった。だから三菱総研史上、一番同期の人数が多かったんですよね。

 私は法学部出身なので、特にこれと言ってスペシャリティがあるわけでもなかったので、当時、大規模開発ブームだった中、都市経営部という部署で大規模都市開発のマスタープランを書いたり、事業試算をしたりしていました。

 ただ、91年後半になるとバブルが弾けてしまって、92年になったら発注もない。その時に自治体相手に仕事を始めました。

様々な仕事にトライしてきた

加藤:どのようなバランスで仕事をしたのでしょうか。

桑原氏:地方自治体の仕事半分、半分は箱物系の管理をやっていましたね。あと、変わったところでいうと、たとえば、競馬場とかの事業計画や構想づくりもしていました。

 そうこうしているうちに、地方自治体の仕事を受けたんですが、一本一本の仕事は300万円だったり、良くて1000万円ということで、当時の三菱総研からしてみると少し安かったんですね。そこで、また何か違う仕事を模索して、当時電子自治体が動き出したので、関連部署に配属になり、しばらくは関連の仕事をやっていました。

人材育成に関する 様々な仕組み開発に従事

桑原氏:その後は、『失われた10年』という言葉が出てきて、「人材が悪いから景気が悪い」という話になって、特に「産業系の人材を育成しないといけない」と、当時、経済産業省が音頭を取って、MOTっていうのをやり始めたんですよね。『Management of Technology』。

 日本の製造メーカーはものすごく良いものを作る。だけど、世界に伍して売れていないじゃないかと。

 そこで、技術屋さんにも経営やマネジメント、マーケティングだとかの学問を日本にも根付かせないといけないという機運が生じてきました。そこで、経済産業省が音頭をとって『Management of Technology講座』というものを教材から作って、各大学に講座を作る事業を国から受注しました。大前提は、『産学の連携』で進めることです。大学は体系化することが得意だけれど、現場知がない。産業界はその逆なので、お互いが連携し、英知を結集することが狙いです。

 その教材や研修が、各産業分野でいろいろできました。たとえば、化学人材向けだとか。2000年以降は、そのプロジェクトをどんどん受注して、回していく仕事ばかりでした。その中で産学官の連携の仕組みを作りながら、官のところがなんとなくわかったり、ネットワークもできました。何より、色んな立場の人がくんずほぐれつで『共創』していく過程は面白かったですね。

加藤:なるほど。そうやって仕事を進めていく中で、「自分が直接、現場に関わりたい」と、公募に参加したということですね。

桑原氏:そうですね。

桑原真琴 三菱総研写真

三菱総研時代の写真

来た仕事は 安かろうが高かろうが全て受ける

加藤:副市長を退任された後、民間に戻られて起業されました。今のお仕事はコンサルティングがメインでしょうか?

桑原氏:そうですね。公共も民間も両方やっています。基本的には新規の事業コンサルティングみたいなものが多いです。

加藤:副市長を辞められた後に、どうやって仕事を増やしたんですか?

桑原氏:昔のお客様ルートが多いですね。

加藤:三菱総研時代の?

桑原氏:必ずしもそうではなくて、副市長時代に知り合った方もいらっしゃれば、色々なお付き合いの中で人に紹介された仕事もあります。

加藤:どういう基準で仕事の取捨選択をされているんですか?

桑原氏:基本的に、来た仕事は安かろうが高かろうが全部受けるんですよ。私がいた頃の三菱総研はそんな感じがあって、先輩方は皆さん社会のために良かれと思って仕事を受けておられました。なので、私もそうありたいなと。まあ、どう考えてもできないのは「できません」と言いますけど(笑)。

今できることをやっていても成長しない

加藤:変な質問かもしれないですけど、大変じゃないですか?

桑原氏:もちろん、大変ですけど、やっぱり新しいネタも仕込んでいかないと馬鹿になっちゃいますよね。

加藤:なるほど。

桑原氏:『今の自分ができる仕事』だけやっていたら、面白くないですよね。総研の時も『眠っていてもできる仕事』が3分の1くらいで、『旬の仕事』が3分の1、『できるかどうかわかんないけどやってみよう』というのが、残りの3分の1くらいでした。そのくらいのバランスが一番うまく回ります。

 『できるかできないかわかんないやつ』は大体、今までにない新しいネタだから、翌年になったら旬になって先頭を走っているかもしれないじゃないですか。

加藤:確かに。

桑原氏:今できることだけをやっていても、なかなか成長しないですよね。

各自治体にそれぞれの文化がある

加藤:ちなみに、実際に副市長として仕事を始めた時に感じたギャップはありましたか?

桑原氏:そうですね。総研の時に付き合っていた自治体は、言葉を選ばずに言えば「良くやっている自治体」が多かったんですね。

 たとえば、横浜市役所と仕事をしていた時に、夜でもムチャクチャ議論していて、「なんて熱心な連中なんだ」と思うことが多々あったわけです。ところが、瀬戸内市に行くと、田舎の自治体は、田舎の自治体ならではの良さもある反面、「あれ? まだ仕事があるのに、みんな17時に帰っちゃって大丈夫?」みたいなところも当然ありますよね。

 ただ、僕も佐賀の田舎出身なんで、当時の役所って「こんなもんかな」と感じていたところから大きく外れていないんで、実はあんまりびっくりしなかったですね。

議員さんからすると かわいくないヤツだった

加藤:ちなみに、副市長に就任して最も苦労したことは何でしょうか。

桑原氏:僕は一晩寝ると忘れちゃうタイプなんで、あんまり引きずらないんですよ。ただ、外から来たのもあるし、議会対策はちょっと苦労しましたね。

 別に僕は議会調整をしたこともなければ、頭下げたこともないんで、「あいつは結局何の仕事をやっているんだ」と思われていたところはあるでしょうね。議員さんからすると、かわいくないヤツだったと思います(笑)。

加藤:扱いづらいわけですからね。

桑原氏:そうですね。外部から来ただけに、ルールには厳格にしたいと思いました。田舎出身ですから、地域社会の法理や陋習があるのは理解しますが、だからこそ、外部の人間がそれを全部肯定すると何も変わらないですから。

加藤:そうですね。

桑原氏:色々な経験をしましたが、全ては地域の住民に返る、還元することですから。

また自治体で仕事がしたい

加藤:1期4年で退職されています。ご自身の中でどういう判断だったんですか?

桑原氏:ひとつはもう50(歳)近くになるので、さらに4年間は長いと感じましたし、佐賀に帰ろうかなとも思っていました。

加藤:なるほど。また自治体に従事する形で仕事をしたいと思いますか?

桑原氏:思いますね。色々な形で携わることが出来ると思います。ただ、時間の制約ということも考える必要があります。というのは、たとえば、政策アドバイザーみたいなものはその地域に住まなくて良いじゃないですか。でも、副市長は住まないといけないので、途端に制約が大きくなりますよね。

加藤:なるほど。市長に関してはやってみたいと思いますか?

桑原氏:思います。やはり、副市長と市長では権限の差は大きいです。なんだかんだ言って、最後は市長が決めますからね。

本気で仕事をしないとマズいと思った

加藤:今、副市長を辞めて民間に戻り、何を強く感じますか。

桑原氏:総研の時も、副市長の時も給料が定期的に入るわけじゃないですか。そこは決定的に違いますね。「なんて楽だったんだろう」と思いますね(笑)。

加藤:そうですよね(笑)。

桑原氏:サラリーマンはやっぱり良いですよ。下手すりゃ、何にもしてなくても給料が振り込まれるわけだから(笑)。副市長を辞めてしばらくして、「あれ、今月お金もらえないんじゃないの?」という局面が何回かあったから、本気で仕事をしないとマズいと思ったのは事実ですよね。

※本インタビューは全5話です

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