インタビュー

【元三重県知事 北川正恭氏:第1話】地方に政治はなかった

北川正恭8
【北川正恭氏の経歴】
1944年生まれ。1967年早稲田大学卒業。1972年三重県議会議員当選(3期連続)、1983年衆議院議員当選(4期連続)。1995年、三重県知事当選(2期連続)。「生活者起点」を掲げ、ゼロベースで事業を評価し、改革を進める。「事業評価システム」や情報公開を積極的に進め、地方分権の旗手として活動。達成目標、手段、財源を住民に約束する「マニフェスト」を提言。2003年4月より早稲田大学政治経済学術院教授。2015年3月に退任。現在、早稲田大学名誉教授、早稲田大学マニフェスト研究所顧問を務める傍ら、さまざまな顧問や委員を兼任している。

-自治体改革の先駆者として名高い北川正恭氏。県会議員、国会議員、そして、知事を務めた。知事時代には、当時最先端の試みを数多く行い、特に行政の事業を具体的に評価するシステムの導入は画期的なものであった。
 2003年に三重県知事を退いてからは、10年以上、議員や職員の育成に尽力している。ご自身の経験を通して見た時に、「地方議会や地方公務員はどう変わったのか」、「これからの政治行政には何が必要とされるのか」ということを主眼にお聞きした。

地方公務員は定型化された仕事において世界一優秀

加藤(インタビューアー):北川さんは政治家を辞めて、政治家や職員の方を育成する試みを始められました。なぜ、ご自身が政治家を辞めて、育成する側に回ろうと思ったのでしょうか。

北川氏:少しさかのぼりますが、2003年まで三重県の知事だったので、その時の流れから説明します。地方公務員のみなさんは、定型化された仕事をされるのは世界一優秀だと思いますが、中央集権時代では、自己決定し、自己責任をとらなければいけない時代に求められる、創造的な力はなかったと思います。

公務員は検証が一番嫌いだった

北川氏:知事に当選した95年に地方分権推進法が通って、これからは自己決定・自己責任で仕事をする職員を育てていかないといけないという時に、職員の仕事の結果を検証しないといけないということになったんです。

 ところが、これまで公務員は検証が一番嫌いだったから、して来なかったんです。それではダメだからということで、公務員の世界にPDCAの感覚を身に着けてもらうために、三重県知事時代に、『事務事業評価システム』という名称で、検証ができる仕組みを取り入れました。

 8年間、知事を務めましたが、かなり積極的に進めました。公務員の方は真面目だから随分ご苦労いただいて、挑戦していただいたという実感を、三重県庁の職員に対して持ったわけです。

北川正恭1-1三重県庁

三重県庁 <提供=三重県庁>

地方議会には票とお金を引き換えにする文化があった

北川氏:それで知事を辞める時に、「行政マンには強いるだけ強いて、申し訳なかったな」という思いがあるんです。行政側では予算という約束によって、決算が生まれてきて、そこでどんな成果があったかと、使ったお金に対してPDCAを回すんです。少なくとも三重県の職員はそこをやってくれるようになっていった。

 でも、カウンターパートの政治の世界、つまり、地方議会がPDCAになっていなくて、『利益誘導』をするということが現実にあったわけですよね。要するに、票とお金を引き換えにするということ。

 それを、「政策を掲げて、実行したかどうかで評価をされる『契約』に変えたい」と思ったんですよ。そうすることで、議会もPDCAを回すことにつながっていくんです。

 成長社会の右肩上がりの時代において、選挙公約というのは「あってなきもの」、あるいは「選挙で勝つまでの約束だ」という、非常に劣悪なものだったところを、「選挙は政策に対する約束なんだ」という文化を醸成したいと思いました。

大学はまだ、地方議会、地方公務員に目を向けていなかった

加藤:2003年に知事を辞められてから、具体的にどのように動いたのでしょうか。

北川氏:私が知事を卒業後、早稲田大学の教授になるわけですけど、そういうことを踏まえて、政治の世界の『マニフェスト』の提唱につながっています。

早稲田大学大熊講堂

早稲田大学 大隈講堂

加藤:早稲田大学は既にそういった活動をしていたのでしょうか。

北川氏:大学はこういうことは不得手なんですよね。まだ、地方議会、地方公務員に目を向けていなかったんです。

 その時にロースクールのような専門職大学院ができて、私は公共経営という学科の大学院の教授になって、アカデミックな領域においても実践的なことをしていくことが求められていたんです。そこで、地方議会であるとか、地方や国の公務員にとって、『実践的な知』を広めていくことを大学から期待していただきました。

活躍している地方議員にも光が当たる仕組みを作った

加藤:教授になられてから、まず具体的に何をしたのでしょうか。

北川氏:地方議員と一緒に『地方議員連盟』もつくって、『マニフェスト大賞』というものを創りました。「地方も政策中心の選挙政治に変えていきましょう」ということで、素晴らしい活動をしている地方議員にも光が当たるような仕組みを作っていきました。
北川正恭マニフェスト大賞3

 始めて11年になりますが、ここ最近では『地方創生』という言葉とともに、どうしていくべきかという議論がなされてきた。その間に我々も既に動き出しをして、実績も積んでいたので、信頼も少し出てきていたと思うんですね。

地方に政治はなかった

加藤:11年という年月の中で、地方議員は変わってきていると思われますか。

北川氏:変わってきていますね。極端な話をすると、1995年の地方分権推進法ができる前、地方に政治はなかったとみても良いんですよ。市役所のことを『地方政府』とは言わないけど、中央のことは政府と言う。

 言ってしまえば、「公共団体の地方の仕事を下請けするのが自治体だった」ということだから、知事“執行部”とか市長“執行部”と言うんですよ。そして、2000年の地方分権一括法で、機関委任事務の撤廃をして、「自己決定の世界」ができてきたというのは、大変な変化なんですよね。

※本インタビューは全6話です

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