インタビュー

【横須賀市 川名理惠子氏:第3話】義父の死と介護生活が 自分を突き動かしている

最期を自宅で迎えたいという望みを叶える事業にしたい

加藤:今後どのように事業を進めていきますか。

川名氏:2025年問題と言いますが、団塊の世代のみなさんが2025年には全員、後期高齢者になります。すると、医療介護を受ける人が急激に増え、その後は、死亡者数も増えていきます。現在、横須賀市では、年間4500人ぐらい亡くなるのですが、今後、ピーク時には6500人くらいに増えます。

横須賀市の死亡数の推計2035年に死亡数のピークを迎えると推計されている

川名氏:そうなっていく中で、いまのままでは病院や介護施設が足りなくなることが予想されます。その時に市民が慌てないように、いまから在宅医療という選択ができるように、さらに取り組みを推し進めようと考えています。

 国の調査でも、「最期はどこで迎えたいか」という問いに対して5割以上の方が「自宅」と回答しています。だから、あらかじめ情報提供ができて、「そういった望みを叶えられるような街にしていきたい」というのが想いの根底にあります。

義父の介護と看取りの経験がいまの自分を突き動かしている

川名氏:もう一つ、自分自身を突き動かしているのは、同居していた夫の義父の介護をした体験があったからかもしれません。

 義父は94歳で、ある日突然寝たきりになってしまったので、介護保険サービスを使って、家で在宅介護をスタートしました。義父にはかかりつけのお医者さんがいましたが、「往診はしていないので連れて来てほしい」と言われてしまいました。

 私が子どもの頃は、どこの開業医さんも往診するのが当たり前だったんですが、仕方ないので、義父を抱えて車に乗せて、お医者さんに連れて行きました。その後も月に1回、診察に行っていたのですが、それでも、義父はだんだん弱っていくわけです。

在宅介護中の不安と義父の死

川名氏:人はいつか死ぬのが当たり前だってどこかでわかっているのに、在宅介護していると「何かあったらどうしよう」という、不安を抱えていました。

 ある時、義父が食べられなくなり、栄養改善のために入院しました。だんだん食事ができるようになって「これだったら大丈夫だから退院の打ち合わせをしましょうね」と主治医に言われた矢先に、急変して病院で亡くなってしまったのです。

川名理恵子3-3

家に帰りたかった義父

川名氏:義父は入院中、「家に帰りたい」と言っていました。家にいた時はずっとベッドで寝たきりの生活でしたけれども、夕食には、家族と一緒にちょっとだけ晩酌を楽しんでいましたし、夜中でもテレビをつけたりして、家に居れば好き勝手ができた。でも、病院ではそうはいかないのです。

加藤:そうですよね。心理的にも大分違うと思います。

義父が退院に向かう時に感じた不安

川名氏:だから、退院は喜ばしいはずですが、私の中で「退院したら、いままでみたいに介護できるだろうか」、「またごはん食べられなくなっちゃうかも」、「万が一、うちで何かあったらどうしよう」と、すごく不安を抱えていたんですよね。

加藤:確かに、何かあった時に、まず自分が対応しなければいけないというのは心配ですよね。

ずっと心にひっかかっていた想いがあった

川名氏:だから、病院で亡くなった時も「なんで死んじゃったのか」という想いと、心のどこかで「終わった」という想いもあって、そのことが、ずっと心にひっかかっていたんです。

 その後、この課に異動をしてきたのですが、「在宅医療をしている」医師が何人もいて、初めて、いまでも在宅医療が世の中で行われていることを認識したんです。

実情を知っていたら義父の最期は全く違った

川名氏:もし、私が先にこの仕事をしていたら「義父の最期は違ったものになっていただろう」と思います。そして、自分も、在宅医療のことを知らなかったのだから、「市民の皆さんもきっと知らない」と感じたんです。そう考えると、いろいろな選択肢があることを市民の皆さんにお知らせし、望みが叶えられるような体制を作っていかないといけないと思いました。

 『義父は家に帰りたかったのに病院で最期を迎えた』という経験が、自分を突き動かしていると、ずっと思っています。ここまで成果を積み上げて来られたのは、うちのじっちゃん(義父)のお陰かなって思ったりしています。

加藤:そういう実体験は大きいですね。

※本インタビューは全5話です

他のインタビュー記事を読む

頁トップへ